部長 久保宗太郎
副部長 峯田諭一
監督 清水宏喜(22回生)
主将 野村雅己
主務 高橋 一喜
会計マネージャー 山岡 登
選手 松田、音代、新庄、中川、門脇、小林、渋木、堀、斎藤、山内、木下、戸井、脇、
大貫、中村
秋は山内-堀バッテリーの投打の活躍などで3回戦に進出しましたが藤嶺藤沢に敗れました。
秋は法政二が35年秋以来の優勝を果たし関東5校目として23年ぶり2回目のセンバツ出場となります。
春は柏陽との打撃戦を制し3回戦へ進みます。3回戦は一転して投手戦となります。1・2回の失点後は山内投手が粘りますが惜しくも敗戦します。
夏は4年ぶりに初戦を突破し、3回戦まで進出しました。山内投手と2年生井上投手の2枚になったことが原動力でした。3回戦では残念ながら秋と同じく藤嶺藤沢に敗れました。
藤嶺藤沢はこの年は4回戦で敗退しますが翌年甲子園初出場となりました。志村投手(慶大-ウイーン)を擁した桐蔭学園が13年ぶり2回目の優勝を果たします。決勝は高橋智(阪急-ヤクルト)がいる向上と延長14回というすさまじい試合となりました。
■ 昭和58年(1983年)秋
地区予選 8-2 浅野
10-0 寛政
4-8 希望ヶ丘
2回戦 9-2 新城
新城 000 001 010 2
慶應 102 010 14x 9
◇山内-堀
【三】山内、中野、堀
【二】山内、中野
3回戦 1-9 藤嶺藤沢
藤嶺 010 134 000 9
慶應 001 000 000 1
◇山内-堀
【三】野村
■ 昭和59年(1984年)春
地区予選 5-2 横浜平沼
0-2 鶴見工
2回戦 10-7 柏陽
慶應141 000 310 10
柏陽100 131 001 7
◇井上、山内-堀
【三】山内2、井上
【二】中野、堀、斎藤
3回戦 2-4 鶴嶺
慶應000 020 000 2
鶴嶺220 000 00x 4
◇山内-堀
■ 昭和59年(1984年)夏
1回戦 2-1 旭
2回戦 11-2 吉田島農林
慶應 002 412 011 11
吉田 000 010 010 2
◇井上-堀
【三】野村
【二】山内
3回戦 2-12 藤嶺藤沢
慶應 100 001 00 2
藤嶺 002 400 24x 12
◇山内、井上-堀
【37回生】
部長 久保宗太郎
副部長 峯田諭一
監督 清水宏喜(22回生)
コーチ 東條大輔(32回生)
主将 井上 晶
主務 松本 尊
選手 松本(達)、松永、安井、石井、鈴木(利)、山本、鈴木(慶)、水田、日比野、中野、葉、鈴木(達)、野口、松本(剛)、東、横田、富高、秋上、品川、角南
この年は大学野球部現役からコーチを派遣しています。
夏は前年を上回る4回戦まで進出し横浜に善戦するも敗れます。この横浜を決勝で下した藤嶺藤沢が初の甲子園出場となりました。
夏の甲子園は清原(西武-巨人-オリックス)・桑田(巨人)のPL学園が優勝しました。
井上さんは大学でも投手として活躍し塾高出身者としては渡辺泰輔さん(12回生)の29勝に次ぐ9勝をあげています。
東さん(井上さんと左右の両輪として活躍した左投手)は総務委員、常任幹事、今期から総務委員長としてお手伝いいただきます。
匿名ご希望の37回生の方から下記思い出をいただいております。
「桐蔭学園、東海大浦安、日大鶴ヶ丘、日大三など、当時の私たちにとっては強豪校とオープン戦が経験できました。一級下の大槻くんが某かの役を担ってくれたような気がします。東條先輩、城島先輩に熱血指導をいただいたこと(ベンチのフレーム(鉄柱)にぶら下がるトレーニングは、訳が分かりせんでしたがとても懐かしいです)が同期の語り草です。
ベンチに入らなかったメンバーが夏の大会前に、敵陣偵察を担当したり、グランド施設(ベンチ等)の修復作業をしたりと、今では定着した上級生の身を挺した貢献が、当時も少なからずありました。
ハワイのプナホウ高(塾高と姉妹高???)が来日、ホームステイしながら塾高の他、法政二、桐蔭ともゲームをして帰りました。選手たちの自宅がホストファミリーを分担。ご父兄のバックアップも、ずいぶんと力が入っていたように思います。公式戦では、東海大相模、桐蔭学園、横浜といった高い壁と対峙するところまで勝ち進むことができ、少しは報いることもできたかと。あまり知られていませんが、上田監督率いる厚木東高とも対戦しています(日吉台でのオープン戦)。 」
■ 昭和59年(1984年)秋
地区予選 8-2 松陽
0-1 柏陽
2回戦 5-4 日大
3回戦 1-5 桐蔭学園
慶應010 000 000 1
桐蔭 131 000 00x 5
◇井上-水田
【本】井上
■ 昭和60年(1985年)春
地区予選 5-0 清水ヶ丘
16-0 森村学園
10-0 白山
2回戦 12-2 県川崎工
慶應 200 001 027 12
川工 000 020 000 2
◇井上-中野
【二】秋上、堤、品川
3回戦 4-12 東海大相模
東海 330 111 021 12
慶應 002 020 000 4
◇井上-中野
【本】井上
【二】内山
■ 昭和60年(1985年)夏
1回戦 11-0 関東学院
2回戦 19-0 中央農
3回戦 9-5 相模工大付
相模 200 000 003 5
慶應 013 100 40x 9
◇井上、東、井上-中野
【三】石井
【二】秋上、松永
4回戦 0-3 横浜
横浜 001 000 200 3
慶應 000 000 000 0
◇井上-中野
【二】松永、石井
【38回生】
部長 久保宗太郎
副部長 峯田諭一
監督 清水宏喜(22回生)
主将 高橋 実
主務 釜苞太郎
選手 内山、池田、森井、常磐井、神戸、堤、小掛、石原、大沢、大槻、二宮、藤本、小黒、玉造
秋の地区予選では港北と乱打戦となります。もつれた試合も最終回5点差がありましたが、ここから6得点し大逆転勝ちしました。県大会では投打に振るわず初戦敗退。
春は地区予選3連勝で県大会に進みます。初戦は法政二との対戦となりますが完敗します。
夏は初戦快勝の後、2回戦は2点を追う苦しい展開でしたが9回に追いつくと延長10回鮮やかなサヨナラ勝ちを演じます。9回は1死2・3塁から代打小掛さんが中越え3塁打、10回は振り逃げの内山さんを田所さんのバントで送り、堤さんのレフト線へのタイムリーで試合を決めました。これで3年連続の3回戦進出です。残念ながらその後部員不祥事により出場を辞退して夏が終わりました。
この年は日吉倶楽部の支援でグラウンド改修を行っています。
主務の釜苞さんは2005年にサラリーマンシンガーソングライター「TAROかまやつ」としてデビュー。かま苞ファミリー3代目シンガーです。「風のわだち」は有線リクエスト最高13位。
■ 昭和60年(1985年)秋
地区予選 19-2 森村学園
13-12港北
港北300 302 121 12
慶應102 220 006x 13
◇二宮、堤-森井
【二】田所2、井上3、玉造、小掛、高橋
1回戦 1-11 座間
慶應 001 000 1
座間 630 002x 11
◇小黒、大槻、堤-森井
【二】大槻
■ 昭和61年(1986年)春
地区予選 8-2 平安
10-0 上郷
7-0 白山
2回戦 1-9 法政二
慶應 100 000 000 1
法政 301 140 00x 9
◇二宮、大槻-江戸、内藤
【二】高橋、二宮
■ 昭和61年(1986年)夏
1回戦 10-0 松陽
2回戦 5-4 磯子工
磯子 003 100 000 0 4
慶應 011 000 002 1x 5
◇大槻、堤-内藤、江戸
【三】二宮、小掛
【二】堤
3回戦 不戦敗 橋本
【39回生】
部長 久保宗太郎
副部長 峯田諭一
監督 清水宏喜(22回生)
主将 井上政継
副将 新川雅也
主務 神前伸樹
金銭マネージャー 小林平
選手 島村、小林(直)、満井、横山、水口、石川、内藤
(井上さんから原稿をいただきました)
前年度夏季大会を途中出場辞退した後、新チームになってからも秋季大会予選まで対外試合ができなかったため、新チームの夏の練習は大学OBとの試合や紅白戦で実践感覚を養いました。ぶっつけ本番となった秋季大会では県大会に出場したものの、三回戦で桐蔭学園に5回10-0のコールド負けを喫しました。桐蔭のバッテリーはその後慶大野球部に入部した小桧山さん(元横浜ベイスターズ)と大久保さん(元近鉄バファローズ)でした。
春季大会では予選で敗退。清水監督より「これからどうすればよいか3年生で良く相談しろ」と言われ、三年生全員で何度もミーティングを行ったことを覚えています。その成果が表れたのは横浜市長杯でした。初戦に横浜商業(その年の夏季大会優勝)と対戦し、接戦の末に勝利をものにし、続く二回戦では武相と互角に戦ったものの、延長の末に敗れました。これで少し自信を取り戻し、夏の大会に臨みました。
前年度の事件もあって、マスコミも注目する中順調に勝ち進み、五回戦で法政二高と対戦。リードしながらも試合途中に突然の豪雨となり、翌日再試合になりました。ここまで一人で全イニングを投げ抜いていたエース横山君も遂に力尽き、2-6で敗退しました。三年生が11人しかおらず、また突出した選手はいませんでしたがチームワークの取れた良くまとまったチームでした。大学野球部へは内藤(普通部の内藤先生の次男)、水口、新川、井上(後に新人監督)の四名が入部。四年生の時の六大学リーグ春秋連覇を影から支えました。
夏の大会を振り返ります。
初戦の鶴見工業戦はエース横山さんが踏ん張り6-4で競り勝ちます。神奈川新聞にも「慶応 勝利でカムバック」と大きく取り上げられました。続く2回戦は14安打9点の猛攻でシード校白山を破ります。3回戦は初回に先制された3点を追う厳しい展開でしたが6回に新川さんの同点適時打のあと横山さん、島村さんの連続安打で一挙に逆転。鮮やかな逆転劇でした。4回戦も初回の1点を追う展開となりますが終盤に底力を発揮してまたも逆転勝ち。
そして迎えた法政二との5回戦は慶應が2回に1点先制しますが雷雨のため両軍ベンチや放送室は浸水。川崎球場のダッグアウトがプールになった写真が残っていますが、このためノーゲーム。仕切り直しの試合は序盤は2-2と均衡した試合でしたが中盤以降突き放されベスト16に終わりました。昭和50年以来です。
法政二とは夏の大会12年ぶりの対戦で「名門対決」と新聞にも取り上げられていますがこの敗戦で夏は5勝7敗となったと記載されています。
夏は横浜商(Y校)が連覇。まさにY校黄金時代です。甲子園は野村(横浜)のPL学園が春夏連覇を達成しました。
なおこの年の大会参加校は198校となり翌年には200校を超えることが確実となったことから神奈川県高野連は理事会の満場一致を持って夏の選手権大会神奈川県予選を2分割し2校代表とするよう全国高野連に申請しています。残念ながら11年後、1998年の80回記念大会で2校となった年はありますが毎年2校の実現には至っていません。
■ 昭和61年(1986年)秋
地区予選 11-1 松陽
7-9 科学技術
5-4 霧が丘
2回戦 14-2 逗子
慶應 001 404 05 14
逗子 100 001 00 2
◇横山-内藤
【本】井上
【三】水口
【二】内藤
3回戦 0-10 桐蔭学園
慶應 000 00 0
桐蔭 404 02x 10
◇横山-内藤
■ 昭和62年(1987年)春
地区予選 8-2 上矢部
3-5 和泉
2-4 横浜平沼
■ 昭和62年(1987年)夏 神奈川大会 ベスト16
1回戦 6-4 鶴見工
2回戦 9-2 白山
3回戦 5-3 海老名
4回戦 4-3 瀬谷
慶應 000 000 211 4
瀬谷 100 000 002 3
◇横山-内藤
【三】満井
【二】横山、井上
5回戦 2-6 法政二
慶應 020 000 000 2
法政 110 102 01x 6
◇横山-内藤
【二】横山、新川
【40回生】
部長 久保宗太郎
副部長 峯田諭一
監督 清水宏喜(22回生)
主将 中野公喜
主務 山本育郎
選手 青山、日比野、石井、川島、小島、岡田(健)、岡田(裕)、崖、船津、高橋、豊島、石橋、金本、富井、中村、奥井、矢口、大串
秋は打線が活発で3回戦も大逆転勝ちでベスト16に進出します。4回戦も桐蔭に対し一時は3点リードの場面もありましたが中盤以降大量失点し敗戦しました。秋はこの桐蔭学園が優勝しました。
春は代表決定戦を勝ち上がり県大会に進みましたが桐光学園に1点及ばず敗退します。
夏の初戦は茅ヶ崎北陵戦。敵失で先制すると4回の二死満塁で石井さん、大串さんのタイムリー短長打で3得点し試合の主導権を握ります。2年生左腕芳賀さんが好投し9回を6安打1四球に抑え勝ちます。2回戦はおおいにもつれ7-7のまま延長に突入します。延長12回1死1・2塁で投ゴロが併殺崩れになる間に2塁ランナーがいっきにホームに帰りサヨナラの敗戦となりました。中野主将の3点本塁打など16安打7得点していましたが残念な敗戦となりました。
なお、夏はついに参加校数が200を超え202校となりました。
また、この大会から女子マネージャーのベンチ入りが実現しています。塾高は関係ありませんが。
■ 昭和62年(1987年)秋 県大会 ベスト16
地区予選 5-0松陽
10-0 寛政
2回戦 8-6 和泉
3回戦 9-5 藤嶺藤沢
慶應 101 010 060 9
藤嶺 012 002 000 5
◇高橋、貫、芳賀-岡田裕
【三】大串、石井
【二】中野
4回戦 5-15 桐蔭学園
慶應 004 010 00 5
桐蔭 010 404 15x 15
◇高橋、貫、芳賀-岡田裕
【本】中野
【三】小島
【二】石井
■ 昭和63年(1988年)春
地区予選 5-6 山手学院
6-4 金沢
7-3 和泉
代表決定戦 3-2 横浜緑ヶ丘
2回戦 3-4 桐光学園
■ 昭和63年(1988年)夏
1回戦 6-1 茅ヶ崎北陵
慶應 010 300 002 6
茅ヶ崎 000 010 000 1
◇芳賀-岡田
【三】小島、大串
【二】大串、中野、豊島
2回戦 7-8 秦野南が丘
慶應 203 000 020 000 7
秦野 005 020 000 001x 8
◇芳賀、高橋、芳賀-岡田
【本】中野
【三】岡田
【二】中野、日比野、芳賀