歴代学生コーチ名簿(上田監督以降)

学生コーチは全員が塾高野球部OB。野球と母校にたいするひた向きな思いを胸に、ある時は鬼コーチとして、またある時は優しい兄貴分として、青春の貴重な時間を惜しげもなく、後輩たちの指導に捧げてくれました。以下にあげる方々は、塾高野球部の最大の功労者たちです。

卒業回   氏名     コメント                              備考      
35川﨑 達生選手の誰よりも筋肉隆々。アメリカ野球の経験者で、元祖・国際派コーチ。慶應のコーチシステムの基礎を作った一人。
35根本俊太郎歴代最長(中等部・塾高)のコーチ歴を誇る。そのマニアックな視点を買われ、現在は某テレビ局プロデューサー。
39小林 平現役時代は俊足強肩の外野コーチ。走る野球を選手に伝えてくれました。よき兄貴分。
41古林 裕章いつも外野陣を後方から優しく見守っていた。思いやりのある接し方は現在でもコーチの見本です。
41望月 祐志現役引退後、すぐにコーチに就任。捕手練習の基礎を作ってくれ。当時のリーダーシップは今も健在。頼りになります。
43加藤 徳之選手への喝の入れ方は天下一品の熱血内野コーチ。他方、ユーモラスな語りで選手から絶大な人気を博した。
43里見 明彦現役時代は天才肌のバッター。将来を嘱望されたが、後輩指導の道を選んだ。その後、理論を学び、信頼される打撃コーチになった。
43水野 隆選手とともに悩み考えるバッテリーコーチ。その苦悩の日々が塾高野球部の捕手指導に新境地を開かせた。
43森林 貴彦当時も今も野球オタクな内野コーチ。思考する筋肉と呼ぶに相応しいトレーニングの鬼。現在も上田監督の良きアドバイザーの一人。
43渡辺 雄介外野ノックの飛距離は破格。その豪快な性格はアメリカ人の日本人観にも影響をあたえているとか。二代目・国際派コーチ。
44武藤 太一強面の顔ながら実は癒し系コーチ。度胸も良いが、面倒見もよいバッテリーコーチ。
45吉川 正紀投手も野手も経験。英語とスペイン語を操る三代目・国際派コーチ。豊富な経験からの打撃のアドバイスには皆が納得。
46黒田 太郎優しい表情で実はチェックが厳しいバッテリーコーチ。その厳しさで多くの捕手が育った。明るい語り口には皆が癒された。
46並木 慎吾グラウンドに響き渡る重低音ボイスを持つ内野コーチ。面倒な練習も嫌がらずに、徹底的に守備を鍛えてくれました。
46根岸 聡攻守ともにプレーのキレには現役選手もビックリ。小柄な体に火山のようなエネルギー。側にいると皆が元気になった。
46横山 英士見ていないようでよく選手を観察していた外野コーチ。その鋭い視線は現在、某テレビ局で活かされています。
47工藤 朋之外見も中身も爽やかな投手コーチ。イケメン・コーチとしてお母様方からも絶大な人気を博した。
47小島 毅洋恐さではもしかしたらナンバーワン。強烈な打球を飛ばした外野・打撃コーチ。今もコーチのお目付け役的存在。
48小泉 朋之佐藤友亮(西武)と同期の内野コーチ。後輩育成のためにもてる力の全てを注いだ。優しく諭す指導は選手からの信頼も絶大だった。
48千東 和孝バッテリー・コーチとして多くの捕手を育てた。スローイングに特徴があった。Mr.UFO
48中塚 健介留学のため途中でコーチを退任するが、それまで外野コーチとして大いに塾高野球部に貢献してくれた。2年間
49安達 賢治二代目鬼コーチ。だが、その厳しさは愛ゆえであることは皆が納得。愛するがこそ厳しく、厳しいからこそ慕われる。哲学です。
49今田 貴仁見た目はクールだが、ハートは誰よりも熱いコーチ。内野手をじつに粘り強く指導した。
49小山雄一郎強面コーチ三代目。だが、指導は優しく丁寧で、捕手に絶大な信頼を得ていた。このコーチの前では他のコーチも直立不動?
49山口 彦之早くからメディアの重要性を理解し、環境整備に尽力。現在、海外からも部の様子を知ることができるのは彼のおかげ。メディア担当
50岩橋 秀樹セクシーなあごから放たれたノックに内野手は皆お世話になりました。監督と近所ということもあり、一時はお抱え運転手兼任。
50堀 公也苦労してサイドハンドに転向した。その苦労が投手育成に大いに役立った。笑顔の下に燃える闘志は後輩投手に受け継がれた。
52海老原宗貴元祖「えびちゃん」。根気よく指導し、多くの捕手を育成した。どんなときでも忘れない笑顔はチームの活力のもとだった。
52草場 勇介独自の理論を追究し、それを熱い指導で選手に伝えた熱血漢コーチ。ランニング・スローをさせたら右に出る者はいない。
52中田 恒平選手時代も含めれば春合宿に計8回参加。不器用だが選手に対する愛情は人一倍。夢は世界規模の野球大会の企画・運営。がんばれ。
52蜂谷 洋志通称「ハッツアン」は誰からも愛されたコーチ。打撃の名手で慶應の強力打線を作り上げた。ミドルネームも持つ、四代目・国際派。
52堀 正明現役時代は2試合連続ノーヒット・ノーランを記録。神宮でのマウンドも経験する。1年間のコーチであったが残した影響は大きい。1年間
53北野 雅史巧妙なトークで、選手のみならず、チーム全体を明るくさせた。俊足、強打の外野手としての経験を後輩に伝えた。2年間
53鳩村 和樹草花も大切にする心優しい打撃コーチ。中国留学のために途中で退任するが気持ちはいつも野球部に。応援いつもありがとう。2年間
53伊藤 広最先端のファッションで、野球部にファッション革命を起こした。他方、緻密なデータ分析は監督をもうならせた。2年間
54山中 康博資格試験のため2年間で退任するが、外野コーチとして尽力。冷静な目でチーム内外を見渡し、チームの運営に貢献した。2年間
54星野 友則そのユーモアと熱い指導で部員から圧倒的な支持を受けた。理工学部や大学院での実験に明け暮れる忙しい生活のかたわら、少しでも時間をみつけてはグラウンドへ足を運んだ情熱家のコーチ。各イベントでの司会はプロ級であった。
54井上 貴博現役時代は名ショート。そのルックスからは想像出来ない厳しい指導で何人もの部員がコンバートに成功した。爽やかなイケメンコーチはお母様方や部員の憧れの存在であった。現在は某テレビ局のアナウンサー。
54高村雄一朗現役時代の豪快なバッティングを後輩たちに伝えた打撃コーチ。また、精神面でのサポートで後輩からの信頼も厚かった。豪放な外見とはうらはらに案外涙もろい。元祖「泣き虫コーチ」。
54多田翔一郎もの静かにピッチングの指導にあたった理論派コーチ。地味な仕事も嫌がらずに黙々とこなす必殺仕事人。特に緻密なスカウティングには監督も絶大な信頼を寄せていた。
54成田 佑介現役時代は強肩、強打の捕手としてならした。こわおもてだが細部によく気がつき、グラウンド整備・ベルペン清掃には一家言もっていた。ノックに芸術性をもちこんだコーチでもあった。
55遠藤 智之理論的な指導では先輩コーチも一目置いていた。面倒見がよく、彼の朝ノックで育った選手も多い。野球以外のことでも研究熱心で、当時、コーチ陣で一番の読書家でもあり、またカンボジアなどにも旅する冒険家。
56小林 正和現役時代は名セカンド。ほのぼのした天然キャラは「塾高野球部遺産」に登録された。普段の癒し系コーチもユニフォームを着ると別人に変身。鉄壁の内野陣をつくるため日々、惜しみない努力をした。
56萩原 啓太ユーモアあふれる性格でムード・メイカー的存在であった。現役時代、激しいポジション争いの中からスタメンの座を射止めた経験をいかし、時に優しく、時に厳しく指導にあたった。特技は首脳陣のモノマネであった。
56宮坂 昭慶特に捕手のディフェンス面を強化した。誰よりも熱く、誰よりも礼儀正しい、そして誰よりも正義感が強く、誰よりも責任感も強いコーチであった。皆から好かれるそのキャラは後輩のみならず、スタッフ全員から厚い信頼を寄せられていた。
56吉村 亮現役時代は左の技巧派として活躍した。変化球をうまく活かした打者とのかけひきをはじめ、神奈川を勝ち抜くための投手王国建設へ向けて、努力した。コーチ最後の仕事を神宮大会優勝で締めくくった実は人情派コーチ。
57湯浅 亮一第77回センバツ甲子園出場時の4番打者。雨降る関西戦ではサヨナラ勝ちのホームを踏んだ。現役時代はマニアックな打撃理論のみならず、反骨精神で監督をうならせた。大学野球部終了後、母校への恩返しのために精を尽くして働いていてくれた。1年間
58竹下 俊輔現役時代からその美貌とプロポーションは誰からも羨望の的。しかし彼の真の魅力は「努力する」という輝かしい才能だった。気迫と根性で勝ち取った夏のベンチ入り。その気概を後輩に伝えてチームより逞しく成長させた。
58鈴木 賢吾一度火がついたら止むことのない溢れるガッツで打球に喰らいついた現役時代。そんな印象とは裏腹に実はナイーブな一面も持ちあわせ後輩の良き兄として指導にあたった。理論をよく勉強して慶應ダイナマイト打線を築いた。
58村上 謙太現役時代はチームメイトや首脳陣の信頼厚いチームに不可欠な控え捕手。物腰柔らかい、穏やかな指導は後輩捕手たちの成長を促した。バッティングピッチャーをはじめ、どんなことも嫌がらずチームのために献身的に働いた。
58渡辺 達也怪我で終えた現役時代の最後は、その悔しさをバネに新人担当として辣腕を振るった。場を読んで柔と剛を使い分けるコミュニケーション能力の高さは指導者たちをもうならせた。彼のノックからたくさんの名外野手が育った。
59遠藤 雄史現役時代は代打の切り札。そしてカリスマ的三塁コーチャー。数々の大舞台で培われた野球感、判断力を後輩に伝えた。打撃コーチを務め、考える野球を浸透させ、走・打に優れた超打撃型チームを作った。
59黒住 駿端正な顔立ちの元背番号1。コーナーに投げ分けた緻密な元エースは、頭脳で打ち取る技術を伝え、沢山の好投手を育成した。現在は甲子園での実況を夢見て某テレビ局のアナウンサーとして活躍している。
59榮 大吾生まれ持った爆発的な情熱と慶應を代表する学力を併せ持ったド根性コーチ。現役時代には新人監督を務め、その経験を活かした説得力ある指導が特徴であった。現役選手の誰よりも大きな声を日々グラウンドに轟かせ指導に明け暮れた。
59細江 貴文現役時代は名サードとして数々のヒット性の当たりを阻止した。厳しい態度で、また時には優しく、ノックを打ち続け後輩の指導にあたった。ユニフォームをまとっている時と普段着の時のギャップに選手も困惑の色を隠せかった。
59佐々木理人クールな外見とは裏腹に熱い眼差しで日々選手に熱意を注いだ外野守備コーチ。夢見た甲子園でのノックカーは叶わなかったが、多くの優れた外野手を育成できたことが彼の誇りだ。
59奥井 雄太彼の口から放たれた名言/迷言は数知れず。演芸、歌もさることながら、最大の魅力は男気。そんな皆から愛されるムードメーカーとして後輩達を温かく、そして時には厳しく指導していた。 
59上田 陸平久々のメディア・戦略コーチは歴代最強の物言うマネージャーだった。事務仕事を中心にひろく部長、監督を補佐して、現役時代に成し得えなかった親子鷹での甲子園出場(2009春)をコーチとして果たした。メディア担当
60普久原祐輔ご存じ伝説のピンチヒッター、フクちゃん。第90回北神奈川決勝の東海大相模戦、9回最後の攻撃で、代打で流れを変える値千金のヒットを打ったことは知らぬ人はいない。打撃職人としての腕とウェイト増強の手腕を買われてコーチに就任し、KEIOのダイナマイト打線を作りあげた。
60佐々木 啓現役時代は名内野手としてだけではなく、キャッチャーとしても起用された野球小僧。その運動センスをいかし、華麗な内野陣を作り上げた。またストリー・テラーとしての才能もすばらしく、監督、部長をはじめ、彼のファンは多い。
60牟田 浩司現役時代は投手として巧みな投球術と達者な博多弁で打者を翻弄。打者を手玉に取るその投球術と指導者とも世代差を感じさせず談笑する、その会話術をKEIOの投手陣に叩き込んだ。
61田村 勇磨現役時代は内野手として堅実な守備と勝負強い打撃で活躍した。新人監督という立場からチームを甲子園に導いた男が、学生コーチとして4年間チームで尽力してくれた。 
61森本 弘毅捕手でありながら「甘い顔にして毒舌」という変化球を武器にしていた。自分に厳しく、他人にもっと厳しいが、野球にはさらに厳しい男であった。彼の選手を思いやる心、理論的な思考、冷静な判断力、それに加えて「毒のある一言」が優秀なキャッチャー陣を育成した。 
61齋藤 拓麿現役時代は「ギラり」とした眼で投手を威嚇し、一振りのチャンスを確実にものにしていた代打の切り札。また渋谷で誰よりも芸能人を見つけだす能力を持っていた。その洞察眼で「キラり」と光る才能を多数見つけ、育成した。 
61富永 哲生現役時代は初代ウエイトチーフを襲名し、ベンチプレス100キロ、握力70キロと恐いもの知らず。学業面でもトップクラスの数学力を誇った。迫力満点、テスト満点、笑顔満点で多くの部員から慕われた(怖がられた)。 
61杉林 秀輝塾高野球部のマネージャーになるためだけに、塾高を受験したという希代の男。成績優秀者に名を連ねるだけでなく、甲子園出場を成し遂げ、明治神宮大会を制し、日本一のマネージャーになった。メディア担当
62五十川 智也現役時代はホームの壁。頭脳派として投手を引っ張ったイケメン捕手。しかし、座る筋肉ばかり付けてしまったせいか、走る筋肉は全く付かず終わってしまった。彼の指導力の高さで多くの名捕手を育成した。 
62近藤 勢湘南から来たサーファー兼守備職人、正しくは捕球職人として活躍した。鵠沼海岸での波乗りの朝練はもちろん、日吉台での朝練もたくさんこなした。優しく甘いフェイスで最強の内野陣を育成するのに尽力してくれた。 
62宮坂 元也普通部コーチから塾高コーチに転職した苦労人。彼の優しくきめ細かい指導が塾高打撃陣をさらなる高みへと押し上げた。また、絶妙の話術が指導者陣をおおいに癒してくれた。 
63伊藤 文起現役時代は、動きたくないからハンドリング、ハンドリングするから動かない、名手中の名手。だが甘やかした体は「おっさん」に。それでも日夜、後輩達にハンドリングの素晴らしさを広めた。柳町・宮田・亀川など神奈川を代表する内野陣を育てた功労者。 
63小島宗太郎現役時代はポーカーフェイスでピンチでも顔色ひとつ変えず打者を翻弄した。何も考えていないようで実は真面目、何も考えていないようで実は友達思い、何も考えていないようで実は人一倍勝利への執念が強い小島コーチ。その持前のポーカーフェイスで、選手たちを「冷酷」にしごきあげてくれた。指導者対選手の引退試合で見せた投球はスカウトに見せたかった。 
63森 優斗野球の知識・深い洞察力、そして指導力には監督も一目置いていた。笑顔の絶えない男だが、内に秘めた情熱と野球部に対する愛は誰にも負けないものだった。選手には怖がられた彼だが指導者にとっては癒し系のよく気の付く好青年。社会人になっても部を支えてほしい。 
65田中 裕也現役時代は強肩で多くの盗塁を阻止した。コーチとして連日バッピを進んでやってくれた。冷静沈着なポーカーフェイスで慶應のバッテリー陣を「熱く」指導した。 
65玉村 拓也現役時代は堅実なフィールディングでならした。指導者の立場となっても泥臭く、選手一人一人と向き合って、鉄壁の内野陣を育成した。後輩思いのよき兄貴的存在であった。 
65杉山 瑛彦現役時代、外野チーフとして華麗な守備と熱いハートでチームを引っ張ってきた。外野守備・打撃コーチとして活躍。打撃理論を一から勉強して強力打撃陣を育成した。理論派コーチである。 
65宮良 里紀沖縄県石垣島出身。恵まれた体格から放たれる打球と彼の美声に酔いしれた人は数知れず。パワーと特技の多さで彼の右に出るものはいない。コーチでは甲子園でも通用する最強の打撃陣を育て上げた。
66杉浦 慶亮現役時代は持ち前のリーダーシップで個性派キャッチャー陣をまとめあげた。コーチになってもムードメーカーとして、チームを引っ張った。あだ名はチョコ、黒い肌に真っ白い歯がさわやか。 
66村井 悠紀現役時代は内野全てのポジションをこなし、また3塁コーチャーとしても多くのランナーをホームに返した。見た目は温厚だが、中身もやっぱり寛大な彼は塾高内野陣をノーエラー軍団に育て上げた。 
66大澤 祐介現役時代は満塁のピンチも動じず、伝家の宝刀チェンジアップで凌いだ。誰よりも選手想いの彼は、そのマウンド度胸とピッチング技術を叩き込み、春夏甲子園出場の投手陣を作り上げた。  
66山本 龍之介
67赤坂 瞭介現役時代は類稀なるセンスを如何なく発揮する名プレーヤー。鮮やかな守備に注目されがちだが、センスの光るバッティングも持ち味であった。OFFの日はジャンを羽織り、バイクで走るというワイルドな面も。その圧倒的スマイルで選手一人一人とひたむきに向き合い、心を通わせた指導を行った。 
67片山 竜之介頑固一徹、捕手一筋で野球をしてきた生粋のキャッチャーボーイ。守備の安定感は抜群であるが、一度バッティングの話が始まると瞬く間に姿を消し、いつの間にかマシンキャッチをしていることから忍者の末裔かと噂されていた。熱い気持ちと冷静な観察眼の両方を備え、素晴らしい捕手陣を育成した。 
68太田 希現役時代の豪快な打撃に加え、新人監督として後輩を育て上げた手腕を買われているこの男。たびたび飛び出す迷言(?)は時に選手を和ませ、時に選手を奮い立たせた。そんな彼の情熱的な指導は慶應日本一へ大きくチームを後押しする。
68岡本 直樹類稀なる打撃センスで見るものを魅了した左の強打者。そんな彼は日夜バッティングを研究する学者気質も併せ持つ。どこからでもホームランが打てる打線へ、彼のコーチとしての探求心は選手からも絶大な評価を得た。
68杉山 佑太代走の切り札と言えばこの男。現役時代は圧倒的走力を武器に塁上で相手をかき回した。そんな彼がこだわりの走塁技術を教え込んだ慶應攻撃陣はそつのない攻撃で容赦なく点を奪ってくれることでしょう!
68林 和孝選手時代もコーチに就任してからも、恵まれた体格から繰り出される矢のような送球で、見るものを圧倒した。選手の前ではクールでポーカーフェイスだが、実は優しい彼のもとで育った捕手陣は、センス溢れる個性派揃いの心優しい選手たちであった。
69西岡 良太
69 莞汰
69渡辺 大祐恵まれた体、大歓声の中でも通る声、グランドの内外問わず存在感で彼の右に出るものはいない。打撃コーチとしては、現役時代から変わらない熱いハートで誰よりも選手と正面から向き合い最強打線を作り上げた。
69渡邊 哲成
70古舘 康太現役時代は類い稀なる守備のセンスで見るものを魅了した。コーチでは熱い指導と美技のノックで塾高の最強内野手陣を作り上げた。その熱さと情熱から選手からの信頼も厚く、彼の言葉は選手の記憶に深く刻まれている。巷では慶應の3点ポーズは彼の言葉から生まれたと囁かれている。
70松本 浩佑
71須藤 遼太郎左打席から繰り出される、美しきスイングの右に出る者はいない。現役時代居残り練習を全く行わなかった男が、打って変わって熱血指導を施し、強力打線の礎を築き上げた。
71冨川 修慈
71斎藤 俊元々は疾風の如くダイヤモンドを駆け抜け、矢のような送球でランナーを釘付けにした5ツールプレイヤー。アメリカ留学を経て自身に肉体改造を施し、打撃に留まらず、説得力抜群の食事の指導によって甲子園優勝に導いた。
71木本 啓志角度のある速球と緩急を駆使して打者を翻弄したサウスポー。温厚篤実で、選手とのコミュニケーションを欠かさず、日本一の投手陣を築き上げた。
71杉岡 壮将

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