【16回生】

部長  川上宏一郎

監督  石原伸晃(3回生)

主将  丸山茂彦

主務  寺東

選手 鴨志田、播本、小方、石井、下山

  初代野球部長の長尾先生から川上先生に交代します。

  夏の大会は「夏の王者慶應、初戦で敗れる」と言う波乱で幕を閉じます。(小方さん記述)

  関東学院の好投手池田に1四球の準完全試合での敗戦で残念な結果でした。

  3年生が選手6人、マネージャー1人と非常に少なくご苦労が多かったのではないでしょうか。

  この夏(昭和39年)に初優勝した武相は5年間で優勝4回、準優勝1回の黄金時代を迎えます。

  春の選抜では徳島海南が初出場初優勝。エースはあの尾崎将司さん(プロゴルファー)です。

  東京オリンピックの年であり、選抜大会開会式にも五輪旗が入場したそうです。

■     昭和38年(1963年)秋

県外遠征手続きに関する出場停止処分により不参加

■     昭和39年(1964年)春

地区予選  1-2 横浜立野

22-1 横浜立野

19-0 横浜商工

慶應 252 010 19

商工 000 0 0  0

◇小方-丸山

【三】日野原

   【二】播本

1回戦   2-3  横浜緑ヶ丘

緑丘 000 003 000 3

慶應 020 000 000 2

◇小方-丸山

■     昭和39年(1964年)夏

1回戦   0-2 関東学院

関東 001 010 000 2

慶應 000 000 000 0

◇綱島、望月-高橋

【17回生】

部長 山崎 努

監督 石原伸晃(3回生)

主将 田中春記

主務 山本一三

選手 福田、坂本、松村、日野原、落合、高橋、谷、遠藤

秋から3代目野球部長として山崎先生に交代します。そしてこの山崎先生の発案により高校チーム単独では初となる海外遠征が実現します。17回生が卒業前の昭和41年2月25日に出発し、ハワイで6試合戦い4勝2敗の戦績をおさめ3月15日に帰国する。これは野球を通して異文化に接する機会を与えたいと言う山崎先生の願いとそれを実現するためのさまざまな調整の結果であります。

春は地区予選で強豪武相と引き分けます。県大会では1回戦敗退になりますが春の横浜市長杯を制します。そして夏の大会、初戦を2年生斎藤投手で完封、3回戦は2年生長谷川投手が完封、4回戦は斎藤投手、長谷川投手のリレーで逆転勝ちし準々決勝に進みます。相手は前年優勝の強豪武相。一時逆転後3回以降同点のまま9回まで進む善戦となりますが残念ながらサヨナラで敗れベスト8に終わります。武相は2連覇となります。

■     昭和39年(1964年)秋

地区予選 3-9 横浜商

8-0 横浜立野

1-6 鶴見工

■     昭和40年(1965年)春

地区予選 12-4 鶴見

3-3 武相

         7-1 桜丘

1回戦   1-7 鶴見工

鶴工 030 000 400 7

   慶應 000 010 000 1

◇長谷川、斎藤-柴田

【二】樋渡、福田

■     昭和40年(1965年)夏  神奈川大会ベスト8

2回戦   11-0 新城

3回戦    8-0 平塚

平塚 000 000 000 0

慶應 001 015 10X 8

◇長谷川-柴田、松村

【二】柴田、田中、遠藤

4回戦    3-2 浅野

浅野 000 100 100 2

慶應 000 111 00x 3

◇斉藤、長谷川-柴田

【三】福田、飯塚

【二】渡辺

準々決勝  3-4 武相

慶應 030 000 000 3

武相 210 000 001×4

◇長谷川-柴田

【二】柴田

【18回生】

部長 山崎 努

監督 石原伸晃(3回生)

主将 柴田裕実

主務 山中雅義

選手 河西、春日井、岸、斎藤、千賀、仁科、長谷川、水島、渡辺

長谷川さんは秋の地区予選日大戦でノーヒットノーランを記録。県大会も2回戦に進み法政二に3点リ

ードで最終回を迎えますが惜しくも逆転負けとなります。

春の地区予選では秋季大会優勝の横浜に惜敗しますが、南には延長15回の試合を制し勝ち上がり、

県大会では横浜一商(現在の横浜商大)に完封勝利でベスト4になります。しかし準決勝で夏2連覇の武相に敗れます。

夏は4試合をわずか1失点。準々決勝も春は地区予選で敗れていた横浜に完封勝利して準決勝に進みます。準決勝では武相の3連覇を阻んだ横浜一商に敗れます。3点差で迎えた最終回は1点を返しなお、1・2塁。代打はマネージャーの山中さん、ジャストミートの打球も二塁手の美技に阻まれ万事休す。(50年史渡辺さん)横浜一商には春の大会で勝っていましたが完封していた長谷川投手が3回戦試合中のクロスプレーで指を負傷したことが影響したようで残念でした。横浜一商はそのまま勝ちあがり初優勝となりました。

なお、ハワイ遠征中にカルフォルニアエンジェルスのスカウトが渡辺一寿さんを誘われたそうです。実現していれば村上投手に続く日本人2人目の大リーガー、野手としては初の大リーガーの可能性がありましたが断られたそうです。

主将の柴田さんは大学時代に新人監督として活躍し、その後に慶應義塾大学46秋~47秋3連覇を達成する若手を鍛えられました。また、おそらく日本で初めてコンピューターによる投球分析を行いました。日吉倶楽部では会計委員、総務委員長、幹事長、副会長と15年間に渡り実務を支え、規約整備、組織化、トレーニングルーム建設、ダッグアウト建設、選抜出場時の対応等にご尽力いただきました。

長谷川さんは大学でも投手として活躍し1完封を含む7勝をあげています。

■     昭和40年(1965年)秋

地区予選 14-4 川和

8-1 横浜翠嵐

2-0 日大

1回戦    5-2 厚木

2回戦    3-5 法政二

法政 000 000 005 5

慶應 000 001 200 3

◇長谷川-柴田

【三】河西

【二】岸

■     昭和41年(1966年)春 県大会ベスト4

地区予選  6-2 金沢

0-1 横浜

2-1 南

1回戦   14-1 相洋

2回戦    5-3 希望ヶ丘

準々決勝  1-0 横浜一商

慶應 000 000 001 1

一商 000 000 000 0

◇長谷川-柴田

【二】渡辺、仁科

準決勝   0-7 武相

武相 000 002 131 7

慶應 000 000 000 0

◇斉藤-柴田

■     昭和41年(1966年)夏  神奈川大会ベスト4

2回戦   6-1 追浜

3回戦   5-0 横須賀学院

4回戦   1-0 希望ヶ丘

準々決勝 5-0 横浜

横浜 000 000 000 0

慶應 400 000 10x 5

◇長谷川、斉藤-柴田

準決勝    2-4 横浜一商  

慶應 100 000 001 2

一商 020 000 02x 4

◇斉藤、長谷川-柴田

【19回生】

部長  小高健吾

監督  石原伸晃(3回生)

主将  鈴木雅晴

主務  不在

選手 山本、田中、飯田、綱島、水谷、原

野球部長が山崎先生から小高先生に交代になります。

秋は県商工ともつれた試合で後3点を追う場面でしたが残念ながらあと1イニングを残し日没試合となり

ました。県商工は準優勝となります。

春は残念ながら地区予選敗退に終わります。

夏の大会はチャーターのバスが故障した影響で試合開始直前にようやく間に合い没収試合を逃れると言うハプニングに見舞われたそうです。キャッチボールも満足にできずにいきなりプレーボールとなり善戦むなしく初戦敗退となってしまったそうです。(石原さん記述)

なお、この試合に勝った東海大相模は原貢監督が就任1年目、この2年後に甲子園出場、黄金時代を迎えることになります。(山本さん記述)

■     昭和41年(1966年)秋

地区予選 5-4 横浜立野

3-2 横浜平沼

2回戦   7-10 県商工

商工 105 004 00 10

慶應 005 020 00  7 (8回日没コールド)

◇綱島、桜井-高橋

■     昭和42年(1967年)春

地区予選  2-11 日大

11-12 関東六浦

3-13 南

2-3  川和

■     昭和42年(1967年)夏

1回戦   0-2 東海大相模

慶應 000 000 000 0

東海 010 001 00x 2

◇綱島、望月-高橋

【20回生】

部長 小高健吾

監督 石原伸晃(3回生)

主将 山下 功

副将 高橋善明

主務 池田利美

選手 池尾、桜井、田端、望月

74校が参加した第50回記念大会。塾高は春に続きベスト4となります。

4回戦は延長戦、準々決勝も終盤の逆転勝ち進んだ準決勝では武相と対戦。初回池尾さん、高橋さんの安打と重盗で先制しますが武相に逆転を許します。4回に窪田さんの2点タイムリーで2点差と迫りますが敗れました。(50年史石原さん)塾高に勝った武相は2連覇を達成。武相のエース投手はドラフトで巨人の1位指名となる島野修さんでした。島野さんは県高校記録の18奪三振やノーヒットノーランなど、塾高以外の試合はすべて無失点の快投だったのです。塾高はこの島野投手から3点を奪いますが残念な敗戦でした。

このチームが秋は県大会に出場できなかったのが不思議ですがブロックには武相のほかにも秋準優勝した南など強豪が集まった結果だったようです。春秋合わせて3試合も引き分けがあるのも珍しいです。

44年2月には2度目のハワイ遠征が行われ、卒業前の3年生と2年生の全員が参加しています。親善試合の結果は5勝1敗でした。(石原さん、高橋さんの記述)山崎先生の記述によると3年に1回定期的に遠征を行う計画であったようですがこの2回目以降は海外遠征が実現していません。 

なお、21回生新村さんにいただいた話では当時の出発は羽田空港。大雪で出発が数時間遅れたそうですがそこから常夏の島に向かわれたようです。

主将の山下さんは日吉倶楽部の元会計委員長です。現在も会計委員としてご尽力いただいています。

■     昭和42年(1967年)秋

地区予選 2-2 南

3-3 鶴見工

4-5 武相

■     昭和43年(1968年)春  県大会ベスト4

地区予選 3-3 横浜

勝ち(スコア不明) 桐蔭学園

        11-3 浅野

2回戦  15-0 県相模原

3回戦   3-0 川和

準々決勝 2-1 県川崎

川崎 000 000 001 1

慶應 000 110 00x 2

◇望月-桜井

準決勝  1-2 南

慶應 001 000 000 1

南   100 000 10x 2

◇望月-桜井

■     昭和43年(1968年)夏  神奈川大会ベスト4

2回戦   8-1 希望ヶ丘

3回戦  10-0 向の岡工

4回戦   8-3 県相模原

慶應  010 001 010 5 8

相模原002 000 010 0 3

◇望月-桜井

【三】杉村、山下

【二】桜井

準々決勝 4-3 県川崎

慶應 000 000 040 4

川崎 000 003 000 3

◇望月-桜井

【二】高橋

準決勝  3-7 武相

武相 023 000 020 7

慶應 100 200 000 3

◇望月-桜井

【二】窪田