部長 峯田諭一
副部長 柴田康男
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 森林貴彦、加藤徳之、里見明彦、水野隆、渡辺雄介(43回生)
武藤太一(44回生)
吉川正紀(45回生)
主将 横倉輝一
主務 宮地大輔
選手 根岸、藤堂、馬場、福永、横山、赤松、赤沼、大谷、黒田、山田(英)、樋口、織畑、
並木、奥山、森田、山田(大)、土田、森、宮下
野球部長は久保先生から峯田先生に交代します。
秋季大会では2回戦、3回戦と2度の延長戦を制し、4回戦も3試合連続の1点差勝ちでベスト8に進出します。奥山投手、中井投手の2人のリレーで抑えるパターンでした。
秋季大会では21年ぶりの準々決勝となりましたがY校に屈します。
春季大会は地区予選3試合を二桁得点で通過した初戦に横浜商工に敗れます。一時は同点に追いつきましたが惜しい敗戦です。
夏も2試合連続二桁得点で4回戦に上がりますが鎌倉学園に接戦で敗れます。なお、1年生ながら佐藤投手が3試合とも登板しています。
このころから大会前の控え3年生がスタッフとしてデータ収集等にまわり優勝に向けて協力していく体制になりました。(50年史46回生横倉さん)
現副部長の赤松さんは46回生です。大学時代は湘南藤沢高校野球部の指揮をとりました。
この秋からウエイトトレーニング場建設計画がスタートします。平成6年6月に計画が固まり、学年幹事会で賛同を得て、7月に総会で承認を受けます。そして1900万円の事業資金を集めるため8回生夏目さんを委員長とする実行委員会が組織されます。さらにOBや外部からの資金協力を呼びかけるために平成6年8月に学年幹事会が開催されました。
■ 平成5年(1993年)秋 県大会 ベスト8
地区予選 11-1 中沢
5-3 元石川
10-0 氷取沢
2回戦 10-9 和泉
3回戦 6-5 県横須賀
4回戦 4-3 百合丘
百合丘 001 001 100 3
慶應 200 010 10x 4
◇奥山、中井-横倉
【二】森田
準々決勝 8-2 横浜商
慶應 000 000 200 2
Y校 102 201 11x 8
◇中井、奥山-横倉
【二】森田
■ 平成6年(1994年)春
地区予選 13-2 横浜日野
19-2 磯子工
10-2 新羽
2回戦 2-4 横浜商工
慶應 000 002 000 2
商工 001 011 01x 4
◇奥山、中井-横倉
【二】土田
■ 平成6年(1994年)夏
2回戦 11-1 平安
3回戦 10-1 相模田名
4回戦 4-7 鎌倉学園
鎌学 012 120 001 7
慶應 100 020 001 4
◇奥山、佐藤、中井-横倉
【三】横倉
【二】根岸
【47回生】
部長 峯田諭一
副部長 柴田康男
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 森林貴彦、加藤徳之、里見明彦、水野隆、渡辺雄介(43回生)
武藤太一(44回生)
吉川正紀(45回生)
黒田太郎、並木慎吾、根岸聡、横山英士(46回生)
主将 津田 顕
主務 桜山 健
選手 香坂、野村、平山、熊倉、糸井、小島、三山、鶴薗、中井、村山、市瀬、鹿嶋、大橋、
鈴木、恒川、大倉、大前、森本、青井、佐藤、渡辺、遠藤、豊田、市川、小池、高島、
石井、長尾、安田、岡本、小川、田中、吉原、稲吉、岡田、工藤、大井、永田
秋は順調に勝ちあがりましたが3回戦で最速138kmの一谷投手の藤沢西に逆転負けとなりました。
春は吉原(3年)佐藤(2年)の投手2枚看板と吉田、松平(2年)等の強力打線で快進撃。準々決勝では18安打11得点と活発に打ち、投げては佐藤投手が横浜商大打線に7安打を打たれながらも力の投球で1失点。一昨年の夏にコールド負けを喫した相手に8回コールド勝ちを果たします。準決勝は2回に村山さんの左前適時打で先制し、9回に中井さんの適時ニ塁打でダメ押し、守っても佐藤さんが4安打に抑え込む好投で零封勝ちします。決勝戦では東海大相模に対し7回に同点に追いつきますが8回に勝ち越され、35年ぶりの春優勝は惜しくも逃しましたが準優勝で35年ぶりに春季関東大会に出場しました。(春の優勝はこのあと12年後に達成されます。)
群馬県で開催された関東大会でも快進撃は続きます。拓大紅陵戦は序盤に4点のリードを許すものの8回についに追いつき延長戦となります。延長12回には1点づつとりあい、13回に松平さんが右中間3塁打で2点を奪い突き放します。投げては2回からロングリリーフとなった佐藤さんが182球の熱投で逃げ切り42年ぶりの関東大会勝利を挙げます。2回戦の浦和学院戦は一転して投手戦。吉原投手が切れの良いスライダーを武器に6回途中まで1失点でしのぐと7回に敵失で逆転。9回に同点に追いつかれ連日の延長戦となりますが10回に吉田さんの中前タイムリーで勝ち越し、甲子園常連校を撃破しベスト8になります。慶應旋風、エンジョイベースボールで快進撃と新聞等で大きく取り上げられました。準々決勝では最終回に粘りを見せるも帝京に敗れましたがこの帝京は関東大会優勝のみならず、夏も全国制覇を遂げました。
夏は相当の期待が高まります。津田主将の下まとまったチームは再び快進撃を続けます。初戦は岸根に6回まで同点、7回にようやく1点勝ち越す試合で苦戦でしたがここから打線が活発になります。5回戦は武相に対し吉原さん、佐藤さんの継投で1失点に抑え代打小泉さんの中前適時打で追加点をあげた塾高が勝ち21年ぶりのベスト8となります。武相の監督木本さんは上田監督が桐蔭学園のコーチを務めていたときの監督で師弟対決を制しました。準々決勝は小泉さんのランニング2ランホームランなどで6点をとり公立の強豪相武台を撃破します。準決勝も吉田さん、松平さんの2本のホームランなどで15安打、大量11点を奪い、吉原さん、佐藤さんのリレーで商大の反撃をかわして激闘を制し、33年ぶりの甲子園へあと一つと迫りました。
大入りの横浜スタジアムの決勝の相手はノーシードながら勝ちあがった日大藤沢。塾高が初回に1点を先制しいよいよかと盛り上がります。しかしながら逆転され甲子園の道は閉ざされました。5回にバントヒット、四球、バントの1死2・3塁からセンター大飛球で2塁走者まで本塁を陥れた足攻にやられました。打線も8回に吉田さんの適時ニ塁打で追い上げますが4安打に抑え込まれました。残念ではありましたが準優勝の慶應にも大きな拍手があったと記憶しています。
平成6年12月にウエイトトレーニング場が完成。12月18日にOBや父兄を集め完成披露会が開催され
ました。平成7年1月には日吉倶楽部報増刊号が発行され完成のお知らせを行いました。
47回生は40人とこれまでの最高人数となります。(倶楽部員ベース。この3年後、準優勝を見て翌年に入学した50回生の48人が最多)平成6年8月は関西遠征を行い上宮、比叡山等とオープン戦を行っています。
■ 平成6年(1994年)秋
地区予選 12-2 金井
5-0 港南台
不戦勝 森村学園
2回戦 10-4 座間
3回戦 4-5 藤沢西
慶應 200 000 002 4
藤沢 002 003 00x 5
◇佐藤、中井、吉原、工藤-鈴木、大井
【本】松平
【二】佐藤、吉田
■ 平成7年(1995年)春 県大会 準優勝
地区予選 9-3 舞岡
11-1 東
11-5 川和
2回戦 7-0 瀬谷
3回戦 9-2 大原
4回戦 7-2 百合丘
準々決勝 11-1 横浜商大
準決勝 5-0 光明相模原
慶應 030 010 001 5
光明 000 000 000 0
◇佐藤-中井
【二】岡田、村山、松平、中井
決勝 3-5 東海大相模
慶應 010 000 200 3
東海 200 001 02x 5
◇吉原、佐藤-中井
【三】佐藤、津田
■ 春季関東大会(35年ぶり3度目)
1回戦 9-7 拓大紅陵
2回戦 3-2 浦和学院
慶應 000 000 200 1 3
浦学 010 000 001 0 2
◇吉原、佐藤-中井
【二】吉原
準々決勝 3-6 帝京
帝京 000 300 210 6
慶應 000 000 003 3
◇吉原-中井
【二】佐藤、小泉
■ 平成7年(1995年)夏 神奈川大会 準優勝
2回戦 5-4 岸根
3回戦 11-1 大楠
4回戦 10-0 市横須賀工
5回戦 3-1 武相
準々決勝 6-1 相武台
準決勝 11-7 横浜商大
慶應 021 200 051 11
商大 100 010 230 7
◇吉原、佐藤-中井
【本】吉田、松平
【三】松平
【二】村山
決勝 2-4 日大藤沢
慶應 100 000 010 2
日藤 001 120 00x 4
◇吉原、佐藤-中井
【三】村山
【二】吉田
神崎吉正(2年)-吉原・佐藤友亮(2年、慶大→西武)の投げ合い。初回、慶応が1点を先制するが、3回裏、尾形が同点ソロ本塁打。4回には早くも石上、塩嶋の長短打で逆転。5回には1死2・3塁から中犠飛で2人のランナーが生還し慶応を突き放す。慶応は、32年ぶりの決勝進出。
(神奈川高校野球資料館)
【48回生】
部長 峯田諭一
副部長 柴田康男
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 武藤太一(44回生)
吉川正紀(45回生)
黒田太郎、並木慎吾、根岸聡、横山英士(46回生)
工藤朋之、小島毅洋(47回生)
主将 吉田翼
主務 朝倉嘉一
選手 斎藤、高田、中塚、小布施、千東、高橋、星野、鈴木、田代、山田、平方、愛敬、寺岡、橋本、淡口、岩本、松平、石渡、佐藤、池上、小泉、高田
前年準優勝の主力メンバーが残り、秋から期待されていましたが4回戦は桐蔭学園に4点リードを追い
つかれ延長戦になるも12回で力尽きベスト16に終わりました。
春も3回戦で法政二と対戦。序盤に敵失絡みであげた3点をエース佐藤さんが死守。右横手からのストレート、スライダーなど横の揺さぶりで法政二を散発の3安打(1失点)にピシャリと抑え4回戦に進みますが武相戦は9回に逆転3ランでサヨナラ負けとなってしまいました。
夏も順調に4回戦まで進みますがここで伏兵翠嵐にまさかの零封負けで終わってしまい大変残念でした。翠嵐宮内投手は3試合連続完封。5回戦で日大藤沢に敗れましたがわずか1失点でした。
吉田さんは大学で野球を続け、社会人野球にも進み明治安田生命で活躍。交通事故に逢い重傷を負いましたが現在懸命にリハビリを行い選手復活へ努力されています。
佐藤友亮さんは大学で東京六大学平成10年春の首位打者になります。塾高出身者としては6回生赤木さん、15回生宇賀山さん、26回生清水さんに続く4人目です。大学では通算87安打を放ち、卒業後は西武ライオンズに入り、背番号10をつけ外野手として活躍しています。
1996年6月22日には早稲田実業との練習試合が行われています。前年の夏に両校ともに夏の予選決勝敗退していました。翌日の日刊スポーツには「高校初の早慶戦」と紹介されています。(早稲田学院との練習試合は何回か行われていますが)試合は5-1で早稲田実業の勝利。以降毎年定期戦となっています。吉田主将は「いつもと違う緊張感がありました」と話していました。
今度こそと期待された夏の大会前に初めて激例会が開催されます。第1回は21回生が中心幹事となって1回、11回、31回、41回幹事と連携する連合三田会方式で実施されました。以降毎年開催されています。
前年の準優勝の効果で平成8年春は60人を越える新入部員が入りました。(50回生、最終的に48人)
ウエイトトレーニング場の寄付金がようやく目標額に達し、支払期限前の平成7年11月に慶應義塾に完済しています。
■ 平成7年(1995年)秋 県大会 ベスト16
地区予選 12-0 磯子工
12-1 東金沢
10-2 旭
2回戦 10-0 鶴見工
3回戦 2-0 瀬谷
慶應 000 000 020 2
瀬谷 000 000 000 0
◇増井、佐藤―小山
【三】佐藤
4回戦 6-10 桐蔭学園
桐蔭 100 001 012 104 10
慶應 000 410 000 100 6
◇佐藤-小山
【三】小泉
【二】小山
■ 平成8年(1996年)春 県大会 ベスト16
地区予選 13-0 関東学院
14-4 都岡
6-1 浅野
2回戦 17-7 山手学院
3回戦 3-1 法政二
法政 000 010 000 1
慶應 120 000 000 3
◇佐藤-小山
【二】松平、吉田
4回戦 2-4 武相
慶應 000 020 000 2
武相 000 001 003 4
◇佐藤-小山
【本】小泉
■ 平成8年夏(1996年)
1回戦 19-0 城山
2回戦 10-3 相模田名
慶應 103 005 001 10
相模 000 200 001 3
◇増井、寺岡-小山
【本】小山
【三】松平、小泉
【二】佐藤
3回戦 0-1 横浜翠嵐
翠嵐 000 000 010 1
慶應 000 000 000 0
◇荒井、増井、佐藤-小山
【二】吉田
【49回生】
部長 峯田諭一
副部長 柴田康男
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 吉川正紀(45回生)
黒田太郎、並木慎吾、根岸聡、横山英士(46回生)
工藤朋之、小島毅洋(47回生)
小泉朋之、千東和孝、中塚健介(48回生)
主将 小山雄一郎
副将 荒井竜也、太田泰造
主務 山口彦之
選手 久保、成戸、屋城、安達、花房、春日、白井、原澤、猪野、辻、野田、佐藤、今田、黒沢、高橋、荒井、入江、太田、桑原、河村、篠崎、関屋
秋は圧倒的な強さで地区予選を勝ちあがり県大会に進みましたがエース増井さんの不調で南に敗れました。
春は再び県大会初戦で南と対戦。今度は白井さんの本塁打など8点を奪い雪辱を果たしました。3回戦では選抜出場のY校に力負けを喫しました。
夏は1・2回戦を順当に勝ち上がり3回戦で第3シードの桐光を破ります。鷹野さん同点2ラン、荒井さん勝ち越し2ランによる見事な逆転勝利でした。桐光は翌年の夏が準優勝で、このころから強くなってきていました。桐光にとって慶應戦は超えなければならない壁と新聞に書かれていますが。最終回1死2・3塁での浅い右飛で三走も本塁憤死で幕が閉じました。1・2回戦で不調だった2年生エース芳川さんがビデオおたく(上田監督)になって投球をチェックし6安打に抑えたことが勝利を呼び込みました。4回戦は自慢の打線が変則投手を打ち崩せず涙を呑みました。厚木の右横手投手から8安打しましたが連打が出ず、追いつくことができませんでした。
春は高知遠征を行っています。
主務山口さんは卒業後もメディア担当コーチとして塾高野球部ホームページ創設にご尽力されました。
保土ヶ谷球場が改装され1997年の夏に初めて同球場でのナイターが行われています。
■ 平成8年(1996年)秋
地区予選 10-0 野庭
25-0 磯子工
17-0 豊田
2回戦 4-6 南
慶應 000 220 000 4
南 110 220 00x 6
◇増井、高久、荒井-小山
【本】荒井
【二】桑原、岡野
■ 平成9年(1997年)春
地区予選 20-1 田奈
13-3 新羽
10-0 岸根
2回戦 8-6 南
南 021 010 200 6
慶應 005 100 20x 8
◇芳川-小山
【本】白井
【三】高橋
【二】太田2
3回戦 1-9 横浜商
慶應 000 001 000 1
Y校 300 023 10x 9
◇芳川、荒井、芳川-小山
【本】小山
■ 平成9年(1997年)夏
1回戦 11-1 深沢
2回戦 12-3 港北
3回戦 5-3 桐光学園
桐光 000 300 000 3
慶應 100 200 20x 5
◇芳川-小山
【本】鷹埜、荒井
【二】荒井
4回戦 4-6 厚木
厚木 102 120 000 6
慶應 200 001 100 4
◇芳川、荒井-小山
【三】岡野
【二】小山
【50回生】
部長 峯田諭一
副部長 柴田康男
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 綿田博人(21回生)
黒田太郎、並木慎吾、根岸聡、横山英士(46回生)
工藤朋之、小島毅洋(47回生)
小泉朋之、千東和孝、中塚健介(48回生)
安達賢治、今田貴仁、山口彦之(49回生)
主将 岡野純也
副将 鷹埜陽介、宇佐美竜吾
主務 青井 実
選手 渡辺、森田、阪口、山下(一)、遠藤、島野、今西、山田、竹内、蜷川、青島、石坂、
生井、荒木、水島、新川、高久、若月、今井、下浦、松岡、井上、上野、堀、丸田、岩橋、峯岸、山下(洋)、芳川、市川、右近、梅元、坂本、野村、三ツ堀、山口、田中、渡辺、高橋、出張、吉永、左右、鈴木、多胡
秋は2回戦負け。この試合は慶大下田グラウンドで行われました。鎌学の投手は卒業後慶應義塾大学に入る長田さんです(慶大-西武)。縁があったようです。
春は3回戦で桐光学園に延長10回サヨナラ勝ち。桐光とはいつももつれる試合となります。4回戦は桐蔭学園に公式戦8連敗を逃れる24年ぶりの勝利。これでベスト8になった塾高は相模原球場での準々決勝で選抜優勝の横浜と対戦します。塾高は高久さん、青島さん、芳川さんのリレーで7回まで0点に抑えます。8回、横浜は選抜優勝後県大会でまだ登板のなかった松坂大輔さん(西武-レッドソックス)がマウンドに上がります。塾高も芳川さんのヒットなどで粘るもののこの日最速144kmの速球に抑えられます。8回裏横浜に一挙4点を奪われ敗戦。
夏は80回記念大会のため神奈川は東西に別れ2校甲子園にいける特別大会。塾高は第1シードで登
場するも3回戦で春サヨナラ勝ちした桐光学園に屈しました。桐光はこの後決勝まで進みますが横浜に
3-14で敗れます。その横浜は夏も全国を制覇し、史上5校目の春夏連覇を達成します。
平成10年2月に大学の体育研究所にいる綿田さん(21回生、慶大前助監督、当時助教授、現在教授)
がコーチとして加わります。
また、10年5月には日吉倶楽部創設以来会長を務めていただいた1回生松本さんから8回生鶴岡さん
に会長が交代になります。
9年夏は蒲郡、10年春は館山で合宿、春は鹿児島遠征も実施しています。(50年史50回生岡野さん)
■ 平成9年(1997年)秋
地区予選 9-5 上郷
10-0 横浜立野
10-0 大岡
2回戦 0-3 鎌倉学園
鎌学 003 000 000 3
慶應 000 000 000 0
◇芳川-菊地
【二】鈴木、岡野
■ 平成10年(1998年)春
地区予選 16-1 氷取沢
5-4 霧が丘
14-3 岡津
2回戦 12-3 県川崎工
3回戦 6-5 桐光学園
4回戦 3-1 桐蔭学園
桐蔭 001 000 000 1
慶應 101 000 10x 3
◇芳川、青島-菊地
【二】岡野、芳川
準々決勝 0-4
慶應 000 000 000 0
横浜 000 000 04x 4
◇高久、青島、芳川-菊地
■ 平成10年(1998年)夏
2回戦 6-4 横浜緑ヶ丘
緑丘 021 000 100 4
慶應 000 050 10x 6
◇高久、堀、青島-菊地
【三】山田、岡野
3回戦 2-8 桐光学園
桐光 200 400 200 8
慶應 000 100 001 2
◇芳川、高久、堀、青島、芳川-菊地
【二】芳川、鈴木