部長 峯田諭一
副部長 柴田康男
監督 綿田博人(21回生)
コーチ 工藤朋之、小島毅洋(47回生)
小泉朋之、千東和孝(48回生)
安達賢治、今田貴仁、山口彦之、小山雄一郎(49回生)
岩橋秀樹、堀公也(50回生)
主将 林周平
副将 菊地啓太、武山晋太郎
主務 川名正憲
選手 大橋、加藤、前田、尾山、桜井、佐藤、田坂、矢崎、南郷、脇、佐々木、、穂苅、鶴岡、
西脇、木内、斎藤、竹光、錦織、中山、花井、小澤、越坂部、中矢、高田、角南、高石
この年は上田監督が1年間UCLAへ留学となります。臨時監督はコーチに就いていた綿田さんです。
この秋に再び慶應旋風が始まります。3回戦の藤嶺藤沢戦は延長10回裏の無死満塁のピンチを切り抜け11回に勝ち越し接戦をものにします。すると波に乗り商大には錦織投手が低めに丁寧に投げ内野ゴロ16を打たせ勝ち上がると、桐蔭にも上位打線の集中打で打ち勝ち37年ぶりの関東大会出場を決めます。県大会は決勝以外全て錦織投手が完投しました。
関東大会は群馬県で開催されました。中間試験のため塾高生は応援できない事態が発生しました。
このため、急遽応援指導部OBが中心となって私設応援団を形成し、群馬連合三田会にも応援依頼を行い、OBらは高崎城南球場に駆けつけました。(応援指導部OB会長星野仁一さん、三田評論1999.2)
初回いきなり先頭竹光さんのホームランで先制すると3回までに8得点。大量リードしたが突如錦織さんが乱れ逆転負けで甲子園の夢が絶たれました。柏陵は選抜に出場しベスト4。塾高との試合で完投した清水投手は早稲田大学に進み11勝無敗で卒業しています。
春はもつれた3回戦藤沢西戦を制して4回戦で横浜隼人と対戦。1-1のまま延長となりますが錦織投手の力投むなしく敗退しベスト16止まりでした。
夏の4回戦は接戦を辛くも制し、5回戦で湘南工大付と対戦しますが大敗し、ベスト16に終わりました。
夏の大会では竹光選手が2回戦2本、3回戦1本の通算3本塁打を記録しています。(大会最多は4本)
このころは塾高のカリキュラムが変更となっていて7月に前期末試験が実施され、夏休みは大学と同様9月下旬までという日程でした。そのため秋季県大会中もたっぷりと練習ができるという環境で課題の守備練習にも取り組めたようです。
日吉台の外野フェンスを越える打球が多く苦情が増えていたようですがそれに対応し11年2月には外野に全自動25mネットフェンスが完成します。(50年史峯田先生)
10年夏は蒲郡、11年春は館山で合宿。6月には仙台育英新球場杮落しに招待されます。(4-6の敗戦)(50年史51回生川名さん)
■ 平成10年(1998年)秋 県大会 準優勝
地区予選 27-0 浅野
19-2 関東学院
7-6 上郷
2回戦 17-6 城郷
3回戦 11-9 藤嶺藤沢
4回戦 2-0 立花学園
準々決勝 5-3 横浜商大
慶應 002 003 000 5
商大 102 000 000 3
◇錦織―菊地
【二】武山、錦織、竹光
準決勝 5-2 桐蔭学園
慶應 001 030 010 5
桐蔭 000 110 000 2
◇錦織-菊地
【本】菊地
【二】越坂部、竹光
決勝 0-3 横浜
慶應 000 000 000 0
横浜 101 000 01x 3
◇尾崎、錦織-菊地
【二】中矢、林
■ 平成10年秋季関東(37年ぶり6度目の出場)
1回戦 10-12 柏陵
慶應 161 000 011 10
柏陵 000 460 20x 12
◇錦織、飯島-菊地
【本】竹光
【二】武山、大橋
■ 平成11年(1999年)春 県大会 ベスト16
地区予選 14-3 新羽
4-3 城郷
12-0 元石川
2回戦 14-1 柏陽
3回戦 10-8 藤沢西
慶應 114 000 202 10
藤沢 100 032 020 8
◇飯島、錦織-菊地
【本】飯島
【二】竹光3、越坂部2、武山、田坂
4回戦 1-2 横浜隼人
慶應 010 000 000 00 1
隼人 000 000 100 01×2
◇錦織-菊地
【二】福田、早川
■ 平成11年(1999年)夏 神奈川大会 ベスト16
2回戦 17-5 弥栄西
3回戦 13-4 上鶴間
4回戦 2-1 相模原
慶應 100 100 000 2
県相 010 000 000 1
◇尾崎、錦織-菊地
【三】武山
【二】菊地
5回戦 1-10 湘南工大付
慶應 100 000 000 1
湘工 000 322 300 10
◇錦織、尾崎、飯島-菊地
【三】竹光
【52回生】
部長 柴田康男
副部長 岡本英敏
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 小泉朋之、千東和孝(48回生)
安達賢治、今田貴仁、山口彦之、小山雄一郎(49回生)
岩橋秀樹、堀公也(50回生)
主将 福田和彦
副将 一瀬聡亨
主務 渡辺秀太
選手 入江、白石、堀、藤田、豊里、石川、齋藤、武見、海老原、佐藤(立)、陶山、吉野、
蜂谷、青木、高橋、小野、原、関谷、中田、草場、中西、塩谷、杉田、早川、尾崎、飯島、佐藤(公)、中島、本間、八巻
上田さんが留学から戻り監督に復帰します。塾高の投手にツーシームボールが本格的に導入されるようになります。
副部長11年、部長6年と長期間お世話になった峯田さんから柴田さんへ野球部長が交代になります。柴田先生は横浜平沼高校時代野球部の選手だった方で現在は志木校に移り監督を務めています。
秋は打線が好調で県大会3回戦まで進みますが座間の好投手に零封されてしまいました。
春はベスト16になりますが横浜隼人に敗れます。
夏も打線好調ベスト16まで勝ち進みます。上田監督による米国仕込みのカットファーストボールが冴えた堀投手が好投。2回戦は5回参考ながらノーヒットノーラン、4回戦も5回1失点ながらノーヒットに抑え10イニング連続ノーヒットピッチング。しかし5回戦は残念ながら優勝した横浜に敗れました。
12年夏は神奈川大会参加校数が207校で過去最高(この年がピーク)となりました。
選抜大会では神奈川県代表の東海大相模が優勝しています。
4番打者早川さんは大学でも4番を打ち通算9本塁打、95安打(野球年鑑による記録)は塾高出身者で
は最高です。
上田監督からネット裏観客席設置の要望をいただき父兄と日吉倶楽部の協力で平成12年3月に完成しました。ネット裏の斜面に座る控え選手も座れるようにと150人分の観客席となりましたが現在大会時は選手が座れないほど混雑しています。
50周年記念事業としてダッグアウトの新設と50周年記念誌の発行に着手しました。50周年事業募金委員会には委員長に八橋さん(5回生)、副委員長に松岡さん(7回生)、松井さん(8回生)、田中さん(14回生)が就き平成12年7月から募金活動に入ります。
■ 平成11年(1999年)秋
地区予選 9-7 柏陽
12-2 上矢部
11-1 寛政
2回戦 13-3 津久井浜
津久井 300 000 3
慶應 112 405x 13
◇堀-福田
【二】馬場、八巻、草場2、堀
3回戦 0-4 座間
慶應 000 000 000 0
座間 120 000 10x 4
◇堀、佐藤-福田
【二】馬場、福田、草場
■ 平成12年(2000年)春 県大会ベスト16
地区予選 12-2 上郷
6-1 城郷
12-2 釜利谷
2回戦 7-2 座間
3回戦 13-0 松陽
松陽 00 0 00 0
慶應 02110x 13
◇堀、佐藤公-福田
【三】村上、早川、田中
【二】杉田、尾崎
4回戦 2-5 横浜隼人
慶應 000 100 001 2
隼人 001 021 10x 5
◇堀、飯島-福田
【二】福田
■ 平成12年(2000年)夏 神奈川大会 ベスト16
2回戦 10-0 大楠
3回戦 16-2 川崎北
4回戦 11-1 江南
慶應 107 03 11
江南 100 00 1
◇堀-福田
【三】田中
【二】福田、尾崎
5回戦 0-5 横浜
慶應 000 000 000 0
横浜 000 110 21x 5
◇飯島、堀-福田
【53回生】
部長 岡本英敏
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 安達賢治、今田貴仁、山口彦之、小山雄一郎(49回生)
岩橋秀樹、堀公也(50回生)
海老原宗貴、草場勇介、中田恒平、蜂谷洋志(52回生)
主将 船木省宏
副将 田中祐輔
主務 宮本佳明
選手 足立、伊澤、岩崎、松尾、三木、藤田、大洞、北野、伊藤、坂上、福田、村林、大野、
高松、西山、馬場、玉野、氷室、鳩村、長田、廣田、金沢、村上、品地、竹本、斎藤、
嶋田、増渕、松田、安室
柴田部長から岡本部長に交代になります。柴田先生は志木高に異動となり野球部の監督になります。
秋は2回戦で平塚学園にコールド負けを喫しました。
春は巻き返しを図るべき県大会初戦に大勝し2回戦で横浜と対戦します。前年優勝の横浜高校の小倉部長が日吉台球場での1回戦の試合を偵察に来ていました。残念ながら横浜には大敗しました。
夏は元気に勝ち上がり2回戦では第3シードの相洋に毎回の15安打を浴びせ、投げては2年生エース永井さんが完投し勝利しました。
さらに3回戦では1・3塁での重盗成功など機動力で主導権を握り7回コールドで勝ちました。
4回戦は被安打は5ながらも9四球、5失策などで残念ながらまさかのコールド敗退となりました。
夏は2年連続で横浜が制覇。桐光学園は2年連続して決勝で横浜に敗れました。
平成13年7月塾高野球部50年史「私たちの野球青春」が発行となります。
■ 平成12年(2000年)秋
地区予選 7-0 横浜日野
2-11 横浜立野
9-0 戸塚
代表決定戦 8-7 山手学院
1回戦 14-2 鶴嶺
鶴嶺 010 10 2
慶應 510 8x 14
◇永井―安室
【二】船木、田中、金沢
2回戦 7-14 平塚学園
慶應 300 022 0 7
平学 001 092 2x14
◇永井、増渕、萩野、藤田、村上-安室
【本】田中
【二】田中、大島
■ 平成13年(2001年)春
地区予選 12-2 松陽
6-2 平沼
6-7 横浜緑ヶ丘
代表決定戦 10-4 横浜立野
1回戦 13-3 西湘
慶應 520 06 13
西湘 201 00 3
◇萩野、小泉-村林
【三】高松
【二】馬場、村上
2回戦 0-10 横浜
横浜 402 31 10
慶應 000 00 0
◇織戸、萩野、小泉-村林
【二】馬場
■ 平成13年(2001年)夏
1回戦 11-4 有馬
2回戦 7-2 相洋
3回戦 9-0 横須賀学院
横須賀 000 000 0 0
慶應 350 010 x 9
◇品地、藤田、小泉-中路
【三】馬場
4回戦 1-13 神奈川工
神工 080 104 13
慶應 000 100 1
◇永井、小泉、品地、藤田、安室-中路
【二】船木
【54回生】
部長 七條義夫
副部長 赤松衡樹
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 岩橋秀樹、堀公也(50回生)
海老原宗貴、草場勇介、中田恒平、蜂谷洋志(52回生)
北野正史、鳩村和樹、伊藤広(53回生)
主将 中路智久
副将 井上貴博、星野友則
主務 浪川洸輔
選手 中島、町田、北川、久保、黒田、小泉、宗原、波握、山中、織戸、古林、成田、丹羽、
萩野、北川、高津、村上(隼)、山川、高村、多田、猪又、永井、幸長、乾、太田、青木、小林、村上(昇)、崔、村田
野球部長には現任の七條先生が就きます。岡本先生は湘南藤沢に異動になり野球部の監督になります。これで志木高、湘南藤沢高とも元塾高野球部長が監督となりました。副部長に赤松先生が就きます。赤松先生は湘南藤沢の元監督です。
秋は県大会初戦で平塚学園にコールド負けを喫します。
春の地区予選では塾高は瀬谷に敗れ、山手学院が都岡に61得点となったため、第3戦に40数点以上の大量得点差で勝たないと県大会に進出できない状況となりました。しかし先行という利点もあり長打15本などにより51得点し地区1位となっています。県大会3回戦では4点差を7回に一挙8得点で大逆転しベスト16となります。第3シードで迎えた夏は2回戦で鎌倉学園を破ると、3回戦では延長になりますが12回に一挙6得点しこの試合を制し、波に乗ります。 なお、この試合で猪又さんが代打初球ホームランを打ってます。ちなみに猪又さんは夏の大会その打席が唯一の打席で、一球のみ、それをホームランにしたのです。4回戦は長打9本と落合投手の完封で7回コールド、5回戦は第2シードの藤嶺藤沢も破り7年ぶりに準々決勝に進みます。準々決勝では東海大相模に敗れてしまいましたがベスト8になりました。
夏季大会の記録です。 投手成績 45回 12失点、10自責点、防御率2.00
打撃成績 打率.289 本塁打3 三塁打1 二塁打20
本塁打数と二塁打数はベスト8の中で最高の記録で長打力のある打線を印象付けます。甲子園にはこの東海大相模を決勝で破った桐光学園が行きます。桐光は3年連続の決勝でようやく初出場を果たしました。
なお、夏の4回戦で順当に行けば加藤監督(塾高13回生)率いる湘南藤沢と戦う予定でしたが3回戦で惜しくも湘南藤沢が姿を消したため実現しませんでした。そしてこの兄弟対戦は平成19年春季県大会でついに実現しました。
14年5月には九州遠征を行いました。5月5日は熊本県立済々黌高校創立120周年招待試合が藤崎台球場で行われが済々黌高校全生徒が2つに分かれ塾高も応援していただきました。50周年記念事業はOB、大学準硬式野球部、ご父兄等の寄付により1,525万円が集まりました。そして平成14年2月ようやくダッグアウトが完成します。これにあわせてマネ室のグラウンド外への移動、ホームベース後方のバッティングゲージが新設されました。バッティングゲージの支柱は新川電気さんのご寄付で設置していただきました。
■ 平成13年(2001年)秋
地区予選 9-1 港北
4-1 上矢部
2回戦 1-8 平塚学園
平学 013 301 0 8
慶應 000 001 0 1
◇永井、小泉、永井-中路
【二】井上
■ 平成14年(2002年)春 県大会 ベスト16
地区予選 11-1 山手学院
5-9 瀬谷
51-0 都岡
2回戦 8-1 山北
3回戦 8-6 綾瀬
綾瀬 000 022 020 6
慶應 000 000 80x 8
◇落合-鹿内
【二】幸長、鹿内
4回戦 1-7 日大藤沢
慶應 001 000 000 1
日藤 401 101 00x 7
◇落合、萩野-鹿内
【三】鹿内
■ 平成14年(2002年)夏 神奈川大会 ベスト8
2回戦 6-1 鎌倉学園
3回戦 10-4 東金沢
4回戦 8-0 茅ヶ崎北陵
慶應 101 140 1 8
北陵 000 000 0 0
◇落合-鹿内
【本】鹿内
【二】鹿内、島田、高橋、幸長2、深海2、永井
5回戦 3-1 藤嶺藤沢
藤嶺 000 100 000 1
慶應 000 300 00x 3
◇落合-鹿内
【三】永井
【二】幸長
準々決勝 1-6 東海大相模
慶應 100 000 000 1
東海 112 100 10x 6
◇永井、落合-鹿内
【二】高橋2、永井
【55回生】
部長 七條義夫
副部長 赤松衡樹
監督 上田 誠(現監督)
コーチ 海老原宗貴、草場勇介、中田恒平、蜂谷洋志(52回生)
北野正史、鳩村和樹、伊藤広(53回生)
星野友則、井上貴博、高村雄一朗、多田翔一郎、山中博康(54回生)
主将 鹿内智行
副将 島田龍太
主務 藤原将大
選手 鎌松、深海、青島、大野、関根、綱島、澤田、鈴木、矢永、伊藤、神保、棚川、下山、
高橋、稲毛、金田、川崎(恭)、水谷、藤原(佑)、増山、川崎(総)、伊達、平井、遠藤、小林、前田、島田、高谷、浜中、落合、今津、小田、熊倉、
秋は県大会初戦で強豪平塚学園と対戦しますが強力打線が好投手柳川(新日本石油)を打ち、破ります。前年夏のベスト8の主力投手であったエース落合さんが抑えました。2年連続でマスクを被るのは鹿内主将で安定したバッテリーでした。2回戦では満員の日吉台球場で行われた隣敵日大との日吉決戦には敗れてしまいました。日大河原井投手のベストピッチに翻弄されました。
春はエース落合さんの負傷がありましたが伊藤投手が良く抑え打線も爆発して3回戦まで進みます。3回戦でも強豪桐光学園相手に深海さんの2本塁打と島田さんの本塁打で接戦となりましたが惜しくも敗戦しました。
夏は横浜スタジアムでの初戦で秋に戦った日大との対戦となりましたが残念ながら雪辱できませんでした。初戦敗退は13年ぶり。 エース落合さんは復活していましたがリズムが狂った慶應はおもわぬ大敗となってしまいました。昭和51年度も日大に1年間で3連敗しましたが日大には分が悪いのです。(2006年までで公式戦6勝10敗)最近では平成17年の春季大会決勝でも敗れています。
夏は桐光学園が初優勝となりました。塾高は春季大会では桐光と全くひけをとらない戦いを演じており甲子園を狙えたチームでした。
平成15年4月に推薦試験制度による入学者が入部しています。
■ 平成14年(2002年)秋
地区予選 12-3 大岡
8-2 横浜学園
6-2 磯子
2回戦 5-4 平塚学園
慶應 000 400 010 5
平学 001 012 000 4
◇落合-鹿内
【三】鹿内
【二】高橋、落合
3回戦 2-4 日大
日大 000 000 130 4
慶應 000 000 200 2
◇落合-鹿内
【二】川崎恭
■ 平成15年(2003年)春
地区予選 16-4 横浜学園
13-0 新栄
11-1 富岡・東金沢
2回戦 12-2 綾瀬
慶應 000 300 027 12
綾瀬 000 001 100 2
◇伊藤、若月-鹿内
【二】鹿内、高橋、青島
3回戦 7-8 桐光学園
慶應 220 000 201 7
桐光 100 210 40x 8
◇伊藤、落合、若月-鹿内
【本】島田、深海2
【二】島田、大野、川崎
■ 平成15年(2003年)夏
1回戦 1-11 日大
日大 100 020 305 11
慶應 000 000 010 1
◇落合、伊藤-鹿内