【6回生】

部長 長尾雄

監督 加藤雄司

主将 篠原 亨

主務 吉田久男

選手 赤木、赤嶋、石原、石間、久留島、近藤、斎田、寺岡、坂根

  夏の1回戦は大勝しますが2回戦は一転して投手戦になります。1-1のまま延長14回まで進みサヨナラ勝ちとなりました。篠原さんが14回を完投しています。3回戦も接戦となりますが残念ながらベスト16で終わりました。

  主将篠原さんは夏季選手権大会予選開会式で選手宣誓を行ったとあります。

   6回生赤木健一さんは大学で塾高出身者としては初めての首位打者になりベストナインも2回受賞、さらにプロ野球・国鉄(現東京ヤクルト)に進み塾高出身者として初めてのプロ野球選手となった方です。国鉄では背番号6をつけ外野手として5年間1軍でプレーをされました。

投手の赤嶋さんには昭和57年から20年間という長期間日吉倶楽部事務局を務めていただきご尽力いただきました。

■     昭和28年(1953年)秋

記録がなく不明です。

■     昭和29年(1954年)春

1回戦 10-1 愛甲農

2回戦  1-6 三浦

■     昭和29年(1954年)夏  神奈川大会 ベスト16

1回戦 10-0  愛甲農

慶應 223 100 002 10

愛甲 000 000 000  0

◇赤島、篠原、寺岡、夏目-久留島

【三】久留島

【二】斉田

2回戦  2-1  小田原

小田原 000 000 010 000 00 1

慶應   000 010 000 000 01×2

◇篠原-寺岡

3回戦  6-11 希望が丘

希望ヶ丘 032 100 410 11

慶應     001 031 010 6

◇赤島、高橋、篠原-寺岡

【二】石原、赤木

【7回生】

部長 長尾雄

監督 香野泰彦、平島直吉

主将 高橋延禎(現姓・武井延禎)

主務 平光 清(2年)

選手 荒井、入交、片瀬、勝本、川崎、鈴木、辰島、中山、堀、松岡、松村、丸山、三浦、

森本、矢島、山中

秋季大会まで加藤監督でその後香野さん、平島さんに交代。

香野さん、平島さんは大学野球部昭和30年卒、香野さんは小倉高、平島さんは八女高出身です。

秋の準々決勝は高橋(現武井さん)-夏目のバッテリーで1安打無四球完封で勝利。ベスト4になります。

春も順調に勝ちあがり、準決勝では高橋-松岡のバッテリーで完封し決勝まで進みます。しかし決勝は逆転負けで準優勝に終わりました。

夏は1点リードのまま終盤を迎えましたが8回、9番に逆転3ランを打たれまさかの初戦敗退となってしまいました。(50年史武井さん)

7回生松岡さんは日吉倶楽部総務委員として11年間ご尽力いただいています。

■     昭和29年(1954年)秋  県大会 ベスト4

序盤戦の記録不明

準々決勝 1-0 県横須賀 

横須賀 000 000 000 0

慶應  000 000 001×1

◇高橋-夏目

準決勝   2-9 県川崎

川崎 002 203 200 9

慶應 000 000 002 2

◇高橋、勝本-夏目

【三】入交

■     昭和30年(1955年)春  県大会 準優勝

1回戦    5-1 県商工

準々決勝 13-3 相洋

準決勝    2-0 湘南

慶應 000 001 001 2

湘南 000 000 000 0

◇高橋-松岡

【三】松岡

【二】山田

決勝     1-3 横浜商

慶應 100 000 000 1

Y校 000 000 03x 3

◇高橋-松岡

【本】山田

■     昭和30年(1955年)夏

1回戦 2-5 横浜平沼

平沼 000 311 000 5

   慶應 200 000 000 2

◇高橋-夏目、松岡

【三】鈴木

【8回生】

部長 長尾 雄

監督 石原伸晃

主将 夏目 操

主務 平光 清

選手 岡島、岸、小島、近藤、高橋、竹下、塚山、鶴岡、野口、松井、森川、山田(忠)、

山田(正)

秋季県大会は決勝で法政二に大勝し初優勝、秋季関東大会も2度目の出場となりますが塾高が神奈川県の代表として参加するのはこれが初めてでした。ベスト4になりますが選抜大会出場は逃します。昭和31年のセンバツは参加20校であり関東・東京は2校の枠しかなく東京を除くと実質1校という状況でした。

春季県大会決勝は逆転で県商工に敗れ準優勝でしたが夏季選手権予選で決勝で再び県商工と対戦し逆転、しかもサヨナラ勝ちで優勝し、3年ぶり通算15度目の夏の甲子園に出場を果たします。

甲子園1回戦は3-3の同点の6回から雷雨により1時間半も試合中断があり、再開後に失った1点により敗戦したそうです。(石原さんの記述)平成17年選抜大会関西との雨中試合は記憶に新しいのですがその約半世紀前に雨中での試合を戦っていたようです。

監督の石原さんは3回生です。通算で13年間塾高の監督を務めていただきました。監督として昭和31年夏と昭和37年夏の2回甲子園に出場しています。

主務の平光さんは大学4年時も主務として伝説の早慶6連戦に参加しています。27年間セントラルリーグの審判を務められたので有名ですが甲子園高校野球、東京六大学野球、都市対抗野球、プロ野球で審判を経験したザ・審判です。

主将の夏目さんは平成6年に完成したウエイトトレーニング場建設実行委員会委員長としてご尽力いただきました。この夏目さんの記述によると30年秋の洞爺丸転覆事故により翌31年からは3年生の修学旅行が10月から6月に変更になり、野球部員が旅行を欠席することで学校ともめたそうです。結局黙認という形で決着がついたそうですがこれ以降修学旅行システムが変わる最近まで3年生は修学旅行に行かないようになったようです。しかし8回生は甲子園という修学旅行が実現しています。

エース投手の鶴岡さんは後に監督として昭和35年選抜大会でも甲子園に出場しています。また日吉倶楽部2代目の会長として塾高野球部50周年記念事業である平成14年完成のダッグアウト、ネット裏観客席設置にご尽力いただきました。

遊撃手の近藤さんは大学野球、日本通運での社会人野球を経て昭和41年と42年に大学の監督も務められています。

1塁手の小島孝雄さん(3年生)と2塁手の小島誠司さん(2年生)は兄弟での甲子園出場です。

■     昭和30年(1955年)秋  県大会 優勝(秋季大会初優勝)

序盤戦の記録不明

準決勝 1-0 県川崎工

決勝  11-1 法政二 

法政 000 000 100 1

慶應 410 003 21x 11

◇鶴岡、関根-夏目

【三】小島

【二】夏目2、山田

■     昭和30年(1955年) 秋季関東(6年ぶり2度目の出場) ベスト4

1回戦 9-0 石和

準決勝 4-7 桐生

桐生 100 102 000 3 7

慶應 021 000 001 0 4

◇関根、高橋、鶴岡-夏目

【三】山田、夏目

【二】夏目、近藤

■     昭和31年(1956年)春  県大会 準優勝

1回戦   23-0 川崎商

2回戦   不明 逗子開成

準々決勝  5-0 平塚

準決勝    6-1 浅野

決勝     2-5 県商工 

商工 000 000 320 5

慶應 001 000 010 2

◇丸山、高橋、鶴岡-夏目

【三】夏目

■     昭和31年(1956年)夏  神奈川大会 優勝 3年ぶり2度目

2回戦   2-0 日大

3回戦   4-2 横浜商

準々決勝13-0 県川崎工

準決勝   2-0 湘南

決勝     3-2 県商工 

県商工 000 000 200 2

慶應   010 000 011x3

◇鶴岡、高橋-夏目

【三】近藤

【二】近藤

7回に右中間3塁打でとエラーで逆転されますが8回に同点に追いつき、9回2死から1塁に竹下さんを置き、近藤さんのレフトオーバーのサヨナラ打により、劇的な優勝を飾りました。

■     昭和31年(1956年) 全国選手権大会 3年ぶり15度目の出場

2回戦  3-4 仙台二

慶應 201 000 000 3

仙台 021 000 10x 4

◇鶴岡、高橋―夏目

3-3の同点で終盤を迎えますが雷雨により1時間28分の試合中断となりました。再開後の7回裏、3安打で決勝点を奪われ惜しくも敗戦となりました。

応援指導部OB会長星野さんの思い出です。

「昭和31年夏の県予選と塾高応援指導部夏季合宿とが偶々重なってしまい初戦から準々決勝までは塾高側スタンドには、リーダーもブラスバンドも不在という異常事態が発生。当時大学3年生だった小生が見かねて「臨時にリーダー」をかってでたことを想い出しました。塾旗がないので熱烈なフアンだった塾高ボイラーマン・山岡さん(故人)が小生の傍らで「三色タオル」をかざしてくれた記憶もあります。球場名は「横浜平和球場」でした。」

【9回生】

部長 長尾雄

監督 石原伸晃(3回生)

主将 小島誠司

主務 大渡正名(10回生)

選手 伊藤、宇野、岡田、岸上、関根、長尾、丸山、山内

秋は準決勝でY校に惜敗しベスト4に終わりました。関東学院が初優勝を遂げています。

春の横浜市内大会で強豪県商工を破った夏の優勝候補の塾高は残念ながら2回戦敗退。(50年史石

原さん)延長12回の投手戦も悔しいサヨナラでの敗戦でした。

なお、この夏を制した法政二は神奈川5連覇を達成する黄金時代に突入します。甲子園でも王投手(現ソフトバンク監督)で選抜優勝の早稲田実業を破るなど準優勝の成績を残しました。

前年甲子園に兄弟で出場した小島誠司さんが主将を務めました。

■     昭和31年(1956年)秋  県大会 ベスト4

1回戦   15-0 横浜緑ヶ丘

2回戦   不明

準々決勝 6-3 相洋

準決勝   0-2 横浜商

Y校 000 200 000 2

慶應 000 000 000 0

◇丸山、関根-長尾

■     昭和32年(1957年)春

1回戦   4-5 日大

■     昭和32年(1957年)夏

1回戦  4-0  藤沢

藤沢 000 000 000 0

慶應 001 003 00x 4

◇丸山、今野-長尾

【二】小島、岡田

2回戦  1-2  相洋

慶應 010 000 000 000 1

   相洋 010 000 000 001×2

◇関根、前川、丸山-長尾

【三】小林

【二】小林、山内

【10回生】

部長  長尾雄

監督  山田彰一(5回生)

コーチ 川本良樹(5回生)

鶴岡伸彦(8回生)

主将  小林達郎

副将  栗原年正

主務  大渡正名

選手 小林、今野、鈴木、土井、中村(将)、中村(喜)、馬場、守屋、柳川、渡辺、北竹、

山本

監督は5回生の山田さんに代わります。神奈川5連覇の法政二の2年目の年であり、春夏と2度もその法政二に接戦ながら敗れてしまい、ともにベスト4に終わりました。

春は4試合でわずか3失点、夏も3試合連続完封で準決勝に進み、そこで法政二にとられた2失点のみと前川さん、今野さんが好投しました。

昭和32年春の選抜甲子園大会で優勝した王貞治投手(現ソフトバンク監督)の早稲田実業とは2年連続でオープン戦を行い対戦しています。33年のオープン戦では王選手に特大のホームランを打たれながらも勝ったようです。(山田さん、小林さんの記述)

主務の大渡さんは日吉倶楽部広報委員長を8年間務めていただきその集大成ともいえる50年史を編集していただきました。こうして今皆さんに部史を提供できるのもこの50年史があるからなのです。

このころ春は静岡での合宿、夏の大会中は前半金蔵寺、後半は大学合宿所を借りての合宿を行っていたようです。(山田さんの記述)

■     昭和32年(1957年)秋

1回戦 10-0 相原

2回戦  2-8 鎌倉学園   

■     昭和33年(1958年)春  県大会ベスト4

1回戦    5-0 川崎商

2回戦    2-1 橘 

準々決勝  6-0 武相

武相 000 000 000 0

慶應 002 001 30x 6

◇今野-小林

準決勝    1-2 法政二

法政 100 000 100 2

慶應 100 000 000 1

◇前川-栗原

■     昭和33年(1958年)夏  神奈川大会 ベスト4

2回戦   13-0 神奈川工

3回戦    7-0 県横須賀工 

準々決勝  3-0 希望ヶ丘

希望 000 000 000 0

慶應 000 011 01x 3

◇前川-栗原

準決勝    0-2 法政二

法政 000 100 010 2

慶應 000 000 000 0

  ◇前川、今野-栗原

【三】栗原

15回生までお世話になった長尾先生には相当ご尽力いただいたわけですがこの長尾先生についてのエピソードを4回生増田さんからいただきました。

「当たり前のことを当たり前にすれば当たり前のことが当たり前にできる」と長尾先生から教わった言葉を藤田元司さん(西条北―慶大―巨人、大学昭和31年卒業、元巨人軍監督)が好きだったということです。この話は藤田さんのご葬儀で川上哲治さんの弔辞で披露されたものです。詳細は増田さんのブログMassy‘s Academy 2006-2-21をご覧ください。

 http://massy-academy.blog.ocn.ne.jp/m/2006/02/index.html