慶應義塾商工学校

*明治38年(1905年) 学校創設。

大正14年(1925年)

 慶應普通部と分離し、慶應商工として連盟に加盟します。

  東京都大会 春季リーグ戦

   ●3-9 大成中

   ○20-2 麻布中

   ○13-4 豊島師

   ○20-6 東洋商

  夏季リーグ戦

   ○2-1 明治学院

   ○20-10 慶應普通部

   ○16-2 早稲田中

   ○10-1 成城中

   ●3-9 早稲田実業

 リーグ戦は7勝2敗で11校中3位の成績でした。

 初めての普通部との兄弟対決は大勝しています。

大正15年(昭和元年・1926年) 東京大会 準優勝

  春季リーグ戦

   ○11-5 立教中

   ○13-2 慶應普通部

   ○25-0 明治学院

   ○16-0 目白中

   ○8-0  早稲田中

   ○8-1  豊島師

   ○27-1 東洋商

   ○10-1 成城中

  夏季リーグ戦(スコア記録のあるもののみ)

   ○15-3 大成中

   ○8-1  麻布中

リーグ戦成績18勝0敗で早稲田実業と同成績となります。

決勝

   慶商 000 010 000 1

   早実 142 005 02x 14

◇津田、松本、吉野-早川   

商工の2番打者、遊撃手として活躍したのは牧野直隆さんです。大学では主将も務めました。卒業後第8回都市対抗野球全大阪の優勝に貢献、その後鐘紡の総監督として都市対抗3連覇の偉業を達成しました。昭和24年に社会人野球協会設立に尽力。日本高野連第4代会長として高校野球の発展と育成をはかり、各種の改革を成し遂げています。三田倶楽部元会長です。平成8年に野球殿堂入りしています。

昭和2年(1927年) 東京大会

  春季リーグ

   ●7-12 大成中

   ○4-1  豊島師

   ○10-5 青山学院

   ○18-3 明治学院

   ○14-5 成城中

   ●2-16 早稲田中

  夏季リーグ

   ●7-10 麻布中

   ●2-3 早稲田実業

   ○15-5 慶応普通部

   ●2-10 慶応普通部

 5勝5敗で5位。

昭和3年(1928年) 東京大会 

  紅組リーグ

   ●3-9  早稲田実業

   ●3-6  大成中

   ●6-7  明治学院

昭和4年(1929年)

 選抜大会出場(初出場)

1回戦 6-13 広陵中(広島・現広陵)

  慶商 000 000 006  6

   広陵 300 041 50x 13

  ◇新妻、藤井-黒崎

 東京大会 優勝(初優勝)

  白組リーグ

   ○21-1 豊島師

   ○16-6 成城中

   ○11-5 麻布中

  2次予選決勝 

   慶商 000 221 030 8

   慶普 000 000 004 4 

◇(商)藤井-黒崎(普)箱崎-神田

 全国選手権大会出場(初出場・春夏連続)

1回戦 1-10 海草中(和歌山・現向陽)

慶商 000 001 000 1 

海草 320 140 00x 10

◇新妻、北村-黒崎

 【三】新妻

夏は東京大会初優勝となります。春夏連続で甲子園出場を果たしますが両大会とも初戦で敗退しました。春の広陵中、夏の海草中はともに大会準優勝となっています。

昭和5年(1930年) 東京大会 

  A組

   ○24-5 青山学院

   ○9-2  豊島師

  各組決勝

   ○8-3  目白中

   ●1-5  慶應普通部

普通部に敗れ東京連盟の準優勝に終わります。普通部は東都連盟の早実を破り、優勝します。

昭和6年(1931年) 東京大会 ベスト4

  2回戦  16-5 豊島師

  3回戦  14-0 郁文館中

  準々決勝 11-1 学習院

  準決勝  4-8  明治学院

昭和7年(1932年) 東京大会 準優勝

  2回戦  17-1 成立商

  3回戦  15-7 青山学院

  準々決勝 15-1 学習院

  準決勝  7-2  日大三中

  決勝

   早実 200 010 421 10

   慶商 100 001 000 2

  ◇笠倉、加藤-綱島

昭和8年(1933年) 東京大会 優勝(4年ぶり2回目)

  1回戦  19-3 保善商

  2回戦  16-2 東洋商

  3回戦  19-0 立教中

  準々決勝 11-0 慶應普通部

  準決勝  2-1  早稲田実業

  決勝

   慶商 020 001 000 3

   日三 000 000 000 0

  ◇笠倉-綱島

 全国選手権大会出場(4年ぶり2回目)

 1回戦 0-6 明石中(兵庫・現明石) 

 明石 040 200 000 6

 慶商 000 000 000 0

  ◇笠倉-綱島

準々決勝で普通部、準決勝で早実を破り、決勝では笠倉投手が日大三中を1安打2四球に抑え、4年ぶり2度目の優勝を飾りました。

甲子園では初戦敗退でした。この年、沢村投手(京都商-巨人)が甲子園デビューしています。

昭和9年(1934年) 東京大会 2次予選 ベスト4

  1回戦  6-2 京王商

  2回戦  4-0 成城中

  準々決勝 8-2 豊島師

  準決勝  0-9 早稲田実業

  3位決定戦 11-6 慶應普通部

普通部に勝って3位になっています。

昭和10年(1935年) 東京大会 ベスト4

  3回戦  11-0 目白商

  4回戦  12-1 成立商

  準々決勝 14-3 日大一中

  準決勝  0-3  日大三中

昭和11年(1936年) 東京大会 ベスト8

  3回戦  13-2 中野中

  4回戦  10-0 成立商

  準々決勝 2-4  早稲田実業

昭和12年(1937年)

 選抜大会出場(8年ぶり2回目)

 1回戦 0-4 中京商(愛知・現中京大中京)

   慶商 000 000 000 0

   中京 100 003 00x 4

  ◇白木-柿沼

 東京大会 優勝(4年ぶり3回目)

  4回戦  14-1 麻布中

  5回戦  8-7  青山学院

  準々決勝 3-2  日大三中

 準決勝  2-1  府化工

  決勝 

   慶應商 000 013 600 10

   目白商 000 000 200 2

◇白木-柿沼

 全国選手権大会出場(4年ぶり3回目)

 1回戦 5-4 高崎中(群馬)

 高崎 012 000 100 4 

 慶商 002 003 00x 5

◇白木-柿沼

 2回戦 1-2 中京商(愛知)

   慶商 000 000 001 00 1

   中京 010 000 000 01x 2

  ◇白木-柿沼

  【二】内木

春夏連続甲子園出場を果たしますが両大会とも強豪中京商に敗れました。春の中京商は準優勝となります。

夏の甲子園2回戦は中京商野口二郎投手(法大-東京セネタース他プロ入り後237勝)と商工白木義一郎投手(セネタース-東急)との投げ合いになりましたが延長11回力尽きました。中京商は決勝で川上哲治投手の熊本工業と戦い、優勝しました。

昭和13年(1938年) 東京大会 準優勝

  4回戦  9-5  日大二中

  5回戦  8-1  東京工

  準々決勝 11-2 帝京商

  準決勝  5-3  高師付中

  決勝

   日大三 000 020 020 4

   慶応商 001 000 001 2

  ◇臼倉-甲斐

決勝は逆転負けで甲子園を逃します。日大三は初優勝。東京都大会が始まった第1回から第24回までは早稲田実業14回、慶應普通部7回、慶應商工3回と早慶で握っていた甲子園出場の代表権が初めて他校に移ったのです。

昭和14年 東京大会

  4回戦 3-4  麻布中

昭和15年 東京大会 ベスト16

  4回戦 19-14 明治学院

  5回戦 0-8  日大三

昭和16年(1941年) 東京大会 

  3回戦 2-14 京王商

昭和17年(1942年) 東京大会 ベスト8

  1回戦  24-4 成蹊尋

  2回戦  17-8 東京工

  準々決勝 2-12 早実

戦争により中断

昭和21年(1946年) 東京大会 ベスト8

  2回戦  19-3 足立中

  3回戦  10-1 豊島中

  準々決勝 8-17 高師付中

 高師付中が優勝し、全国大会でもベスト4になりました。

昭和22年(1947年) 

 選抜大会出場(10年ぶり3回目)

 *慶應義塾普通部と同時出場のため塾高の通算出場回数からは除外しています。

 1回戦 6-7 下関商(山口)

   慶商 001 000 005 6

   下関 000 100 033x 7

   ◇梅垣(現金子)-広瀬

  【二】梅垣、薮本

 中盤まで同点だった展開が終盤にもつれました。9回表、慶應は3点差をひっくり返す5点を取りますがその裏に3点失いサヨナラ負けを喫しました。 

 東京大会 優勝(10年ぶり4回目)

  6回戦 3-1 麻布中(シードにより6回戦から登場。麻布は3回戦から)

  7回戦 1-0 早実

  準決勝 1-0 都立一中

   慶商 000 000 001 1

   一中 000 000 000 0

◇吉村-井上

【三】原

【二】小川

息詰まる投手戦は試合巧者の定評のある慶應が7回に3塁打の原さんがスクイズに刺され、8回には1塁ランナーが次打者の中前打で二封されるなど一中の投手に押され気味でしたが最終回に満塁から高木さんの死球押し出しで初得点し、吉村投手が1安打完封で決勝へ駒を進めました。

  決勝

   付属中 000 000 102 3

   慶商 001 100 03x 5

  ◇吉村-井上

連投の吉村投手が3安打12四球ながら3失点に抑え、慶應も5安打ながら11四球を得て5得

点し、見事に10年ぶりの優勝を果たしました。小川3塁手の好守が吉村投手を救ったようです。

8回には3四球、柴田さん、今田さんのタイムリーヒットで3点をあげ試合を決めました。

 全国選手権大会出場(10年ぶり4回目)

 2回戦 8-14 下関商(山口)

   下関 045 102 002 14

   慶商 214 010 000 8

  ◇吉村-井上

  【二】柴田、小川

3度目の春夏連続出場も両大会とも初戦で下関商と対戦し惜しくも敗れました。

夏の大会前の朝日新聞ではスケールこそ小さいが試合巧者だけにあなどり難いと評されています。特に三塁小川さんの攻守は定評があるとも書かれています。

前年復活した全国大会ですが甲子園球場はアメリカ進駐軍の管理下にあったため使用できず西宮球場で行われていました。戦後復活2年目のこの年、甲子園球場に戻り、夏の甲子園大会がよみがえったのです。

なお、学制改革により中等野球大会はこの年が最後となりました。

<慶應義塾商工学校の甲子園出場>

選手権大会出場 4回

選抜大会出場  3回

*ちなみに慶應普通部と慶應商工の野球部OB会はKFG会といいます。

 KEIO FUTUBU TCHNICAL COMMERCIALの略称ですがTとCを合体させるとGになるのでKFGとなったそうです。